仕事も生活も、”まるっと”楽しみながら生きていく。

仕事も生活も、”まるっと”楽しみながら生きていく。
marutt株式会社/表現からつながる家「粒粒」西山里佳さん

小高駅から車で10分ほど。山と田んぼに囲まれたのどかな場所に「表現からつながる家 『粒粒』」という、ちょっと気になる場所がある。構えは一般的な平屋の民家のようだけど、テラスがあったり、煙突が出ていたりと、おしゃれな雰囲気で思わず中をのぞいてみたくなる建物だ。『粒粒』のInstagramを見てみると、こちらを会場にデザインや表現にまつわるワークショップが開催されているらしい。なんだかますます気になってしまう。

この『粒粒』はmarutt株式会社というデザイン会社のオフィスにもなっていて、今回インタビューをさせていただいた西山里佳さんは、『粒粒』の家主であり、maruttの代表でもあるお方だ。

もともと東京のデザイン事務所でアーティストのCDジャケットや、出版物のデザインをされていたという西山さん。「デザインに0から関わる仕事がしたかった」という西山さんに、デザイナーという仕事における東京と地方の違いや、地域で表現とつながることについてお話を伺ってきた。

「デザイナー」の衣を脱ぎ、ひとりの人間として地域で生きていく。

西山さんが代表を務めるmarutt株式会社は、2020年の2月に小高で創業したばかりのデザイン事務所。小高区を中心に、地域の飲食店のロゴや、行政の出版物のデザイン、さらには旅館のラウンジの空間デザイン等々、幅広く手がけている。現在は西山さんをはじめ、インターンの学生さんやパートタイムで働いている方も含め、4人のメンバーが所属。maruttという社名どおり「地域の困りごとを”まるっと”解決する」会社である。

「本業はグラフィックデザインなんだけど、今は空間デザインとかもお願いされるようになっていて。地域の方との会話の中から『これできない?』と相談されたことに、できないことも応えたいと思って仕事になっていくパターンもあります。」

東京などの大都市であれば、広告や出版物も豊富に流通し、そのひとつひとつにデザイナーの仕事が存在する。一方で、地方ではそもそも”デザイナー”という職業が知られていない場合も多い。

「地域にいると”グラフィックデザイナー”って横文字で名乗ってもなんの仕事かわかりづらい。私の父親は私のことを看板屋だと思ってるくらいで(笑)。だから、”グラフィックデザイナー”って名乗って『わたしはこういうことができます』っていうよりも、”西山里佳”って名乗って『私はこういう人間です』っていうところから知ってもらうようにしてます。」

「人生のご褒美時間」だった東京時代を経て。

西山さんは高校卒業後、上京してデザイン事務所に就職。BLANKEY JET CITYや斉藤和義といったアーティストのCDジャケットのデザインを手がける大箭亮二さんのアシスタントを務めた。西山さんいわく、この時期は今思えば「人生のご褒美時間だった」という。

「BLANKEY JET CITYのボーカルの浅井さんは本当に神様みたいな存在でした。夢叶って一緒に仕事させていただいたんですけど、飲み会で同席させてもらった時は、浅井さんをはじめ周りのスタッフの方に好きな映画とかアーティストとかを教えてもらうためにメモを持ち込んだりもしていました(笑)。」

憧れのアーティストやデザイナーと仕事を共にするなど、東京で次々に夢を叶えていった西山さん。しかし、東日本大震災をきっかけに、東京ではなく地方でクリエイターとして活動することにだんだん興味が沸いていったという。

「震災があって『地元に帰らなきゃ』という感じではなくて、震災をきっかけに地方でもクリエイティブな活動をするのがだんだん一般的になっていく中で、自分もフリーランスとして独立したいと思っていたんです。だから、移住先は別に福島じゃなくてもよかった。でも、自分が活躍するフィールドとしての福島がだんだん魅力的に感じてきて。だって”フクシマ”だけで世界に通用する場所なんて他にないし、全部がゼロからスタートするから、やったことのインパクトがすごく大きい。そういう意味でフィールドとして面白いなと思ってここにしたんです。」

ひさしぶりの福島で、はじめての小高へ。

そうして西山さんは2017年に福島へ戻ることに。当初はご両親が住まわれているいわき市で生活していたが、翌年からは起業型地域おこし協力隊制度『Next Commons Lab 南相馬』(以下、NCL)への参加をきっかけにいわきと小高の二拠点生活を開始。その後、活動の軸足を徐々に小高へと移していった。

これまで同じ浜通り内の富岡町やいわき市に住むことはあったものの、小高は初めてだった西山さん。当初はほとんど地元の方に面識がない状況だったというが、このNCLの活動をきっかけに、地域の方々と交流を深めていく。

「たとえば小高駅前の双葉屋旅館さんは地域のハブになる場所で、いろんな人が行き来しています。私もお茶を飲みにいったりするんですけど、そういったお付き合いを通して地域の方と仲良くなったりとか。この『粒粒』の物件も、もともとNCLに参加する移住者向けの住居を探している中で、双葉屋旅館の小林さんに教えてもらった物件で。そのあとタイミングもあって、結果的に私が住むことになりました。」

「そうやって地域の方と関わり合いながら仕事も生活もしているうちに、だんだん自分のことを知ってもらえるようになると『あれで困ってる』とか『こんなことできないかな』っていう相談をいただくようになって。その中で、グラフィックデザインにできそうなことがあればもちろんやるし、ちょっと分野が違う空間デザインとかの仕事でも、勉強してできそうであれば自分でやる。どうしても自分の力では…っていう時は知り合いのクリエイターの方にお願いしてやる。そんなふうに地域の困りごとを『まるっと』解決するお手伝いをしています。」

地域で「表現」に触れられる場所を。

東京時代とは異なる形でデザインの仕事に携わるようになった西山さん。昨年5月には「表現からつながる家『粒粒』」をオープンし、活動はさらに次のフェーズへと進んでいる。

「いまの個々が尊重される時代において、ひとつひとつの個と個が表現を介してつながり、ひとつのコミュニティを形成していくときの、そのハブになる場所として、『粒粒』をつくりました。」

館内は薪ストーブがある土間を囲んで、ワークスペースや本棚、リビングなどが一続きのスペースとなっている。無垢の床材や、大きな窓から差し込む陽の光が、のびのびとした空間を演出しており、思わず「ここであんなこともできそうだな」とアイディアが浮かぶ、秘密基地のような場所だ。

「自分たちの仕事場というだけでなく、表現にまつわるワークショップやアーティストインレジデンスを開催して、外からきた人が訪れる場所でありつつ、地域の人がふらっと立ち寄って仕事をしたり映画を見ていったり… わかりやすい言葉で定義できる場所ではないんだけど、あえて定義せずに、余白がある場所がいいなと思ってるんです。」

西山さんはこの『粒粒』を拠点に、地域のなかで表現に触れる機会を増やしていきたいという。

「私はみんなが表現者になったら面白い世の中になるって思っていて。地方ではなかなか表現に触れられる場所がないけれど、ここを拠点にみんなが表現に触れる気持ちよさにちょっとずつ気づいてくれるようになったらいいなって思っています。」

「移住者」を卒業し、次の世代へ。

これまで小高の地域内では移住者として認識されてきた西山さん。しかし、会社を立ち上げ、新たな場づくりもはじめたいま、徐々に移住者としての自分を脱し、次の世代の育成も考えていきたいという。

「やっぱり地域には圧倒的にクリエイティブの人材が足りないので、もっと増えて欲しいと思っているし、会社を立ち上げたのはそうした人材の受け皿や育成の場っていう意味もあるんです。それに、私が地域でデザイナーをやっていることで、デザイナーという職業があるということを子供たちにも見せていきたい。」

「そういう意味ではこの記事を読まれているデザイナーの方がいれば、これを機にぜひきてほしいです。東京とはまた違う、地域のデザインに面白みを感じている人にぜひきていただければと思っています。」

小高で光輝く、もうひとつの「粒」に、あなたもなってみてはいかがだろうか。


文…久保田貴大 撮影…アラタケンジ