働く場所から、暮らす場所へ。渡部尚紘さんの想いを変えた、小高での出会い。

働く場所から、暮らす場所へ。渡部尚紘さんの想いを変えた、小高での出会い。

南相馬市小高区の移住促進住宅に暮らす渡部尚紘さんは、南相馬市のご出身で神奈川県からUターン。8年間の小高ワーカーズベースでの勤務を経て、現在は個人事業主として小高テック工房や行政の業務を請け負っています。奥さん、お子さんと家族3人で小高に暮らす渡部さんが、移住を通して感じた、ご自身と小高の変化について伺いました。

最初は「フォロワー」として小高にやってきた。

当日は、渡部さんのご自宅にお邪魔して取材させていただくことに。築30年ほど経つそうですが、綺麗にリノベーションされた平屋で出迎えてくださいました。

——今日はよろしくお願いします、とても素敵なお家ですね!

渡部さん 南相馬市が子育て世代向けにリノベーションした移住促進住宅の第1号なんです。ぬくもりある家に住ませてもらっています。僕自身は南相馬市へはUターン移住者、妻は移住者としてやってきました。住みはじめて1年半くらいになるかな。

渡部さんが家の中で一番気に入っているのは廊下。「玄関を入ってすぐに広い空間があるのが良い」とのこと

——渡部さんのご出身はどちらですか?

渡部さん 南相馬市の鹿島区です。大学進学を機に、社会人2年目まで神奈川県にいました。なので小高に暮らすのは今回が初めてです。

——お仕事はなにをされているのでしょうか?

渡部さん 小高テック工房で、コワーキングスペースの運営とウェブサイト制作などのプロジェクト進行を中心に担当しています。あとは、小高ワーカーズベースからのつながりで行政事業の事務業務なども請け負っています。

——-最初に南相馬に戻ってこようと思ったきっかけはなんですか?

渡部さん 実は、最初の就職のときに南相馬に帰りたかったんです。友達の近くにいたかったので。でも震災もあったし、特定の住みたい地域があったわけでもなかったので、一度関東で就職して。

——震災からまだ2年しか経っていなかったのですね。

渡部さん はい。でもやっぱり「いつか地元に帰りたい」と感じていたので、地元について情報収集をつづけていました。

そんな時、都内の復興関連イベントを訪れた渡部さん。

渡部さん イベントで、たまたま小高ワーカーズベースの代表である和田智行さんと出会いました。当時、南相馬でコワーキングスぺースと飲食店事業に挑戦されていました。

イベントでお会いした和田さんからは、「地元で感じたことのない空気感を感じた」と語る渡部さん

渡部さん 南相馬でなにかやる人いるんだ!って思いました。型にはまらない感じで、おもしろいと思いましたね。和田さんがやろうとしていることは無謀かもしれないけれど、真摯に取り組む彼の姿に惹かれました。

当時南相馬には、和田さんのように立ち上がろうとする「リーダー」は多かったものの、それにつづく「フォロワー」が少なかったそうです。

——では、渡部さんは、和田さんにつづくフォロワーとして。

渡部さん そうです。なんとなくなんですけど、「見えたもの」があったんですよね。小高で働く未来が想像できました。

——-小高は渡部さんにとって、最初は働く場所だったのですね。

渡部さん はい。和田さんとの出会いが、僕が小高に住み、小高ワーカーズベースで働く大きなきっかけになりました。

町にふえた“個性”と、渡部さんが見つけた“自分らしさ”。

「仕事も遊びも『チームワーク』は球体のイメージ。それぞれが関与し合って、一つのまとまりをつくっていると思います。」と渡部さん

——-渡部さんにとって小高は働く場所という感覚は、いまも変わりませんか?

渡部さん いや、変わってきました。

——-どのように変化したのでしょうか?

渡部さん 2020年頃から、徐々に僕より年下の人たちが小高に入ってくるようになって。町の中にいろんなタイプの人が増えました。

——-小高へ移住してくる理由が、より多様になっていったということですか。

渡部さん そうです。それまでは、なにかにチャレンジするために小高に移住したい人が中心だったのですが、そうではなくてリフレッシュだったり、より良い暮らしのために移住してくる人たちが出てきたんです。

——-その結果、町にはどんな変化が出たのでしょうか?

渡部さん それまでよりも、“心地よさ“が大きくなりました。どうしても、「プレイヤー」だけだと息苦しさもあると思うんです。小高の人たちに多様さが出たことで、暮らす場所としての魅力も大きくなってきたと感じました。

——-なるほど、渡部さんにとって「働く場所」であった小高が、「暮らす場所」としても魅力を持ち始めたんですね。

渡部さん そうですね。

——-小高への印象が変わっていく中で、ご自身に起きた変化もあったでしょうか?

渡部さん はい、移住してきた方々との出会いを通して、僕自身にも変化があったと思います。特に大きな出来事として、コワーキングスペース運営に携わる中で画家の堀池奈緒美さんに出会いました。彼女から仕事について「そんなに真面目にやっていて楽しいの?」とよく聞かれたんです。楽しいもなにも、仕事だからな、と思っていたんですが。

——-渡部さんにとって、堀池さんは面白い考え方を持っていたのですね。

渡部さん はい。彼女やその周りの人たちとの出会いをきっかけに、イベントを企画したり、僕のキャラじゃないと思われるようなことをしたりするようになったんです。そしたらだんだん楽になっていったというか。

——渡部さんご自身が、人として「広がった」という感じですか?

渡部さん 明確に「変わった」ですね。もっとフランクでよかったんです。より良いコミュニティをつくるためには、楽しさも大切な要素なんだとわかりました。

——そのときに変化した想いは、今もつづいていますか?

渡部さん そうですね!仕事だけでなく、自分自身の価値観にとっても、大きな変化だったので。

そう言って渡部さんは、廊下に飾ってある1枚の絵を紹介してくださいました。

「この絵を眺めているのが好きなんです。なにを想ってこんな絵が描けるんだろう。」と渡部さん

——これは何の絵ですか?

渡部さん その堀池さんが、僕のことをイメージして描いてくれたんです。

——へえ!なかなかない機会ですね!

渡部さん 嬉しいですよね。堀池さんは最初2つの絵を持ってきてくれて、この赤と、僕自身をイメージした青っぽい絵と。僕はよく青や緑系の色のイメージだと言われることが多いのですが、自分が持っていないものへの憧れとして、こっちを選びました。

——たしかに、短い時間ですが、今日感じた渡部さんに対する印象は、赤系というよりクールな青系かもしれません。

渡部さん そうですよね。だから赤って落ち着かない。けどそれが良いんです。自分にはない要素に惹かれています。

これからの小高に広がる“心地よさ“。

——そのように変化を経験してきた小高に、渡部さんはこれからも住みつづけますか?

渡部さん そうですね。住みやすく、毎日楽しいと思うので。ストレスやマイナス要素がないっていうことは大きいです。これは、小高だからこその楽しさです。

——ストレスって、どういったことでしょうか?

渡部さん たとえば他の地域で暮らしていた時は「バーベキューがやりたいときにできない」ことがストレスでした。小さい頃から楽しんでいたことができないのは、世知辛いですよね。

——たしかにそうですね。

渡部さん そういうマイナス要素が無ければ、そこからは自分次第じゃないですか。これまで小高でいろんな方にお世話になってきて、子育てをするにも小高が楽かなと思っています。

——-渡部さんのお子さんはまだ幼いそうですが、子育てをする環境としては、小高はどのようなところが魅力でしょうか?

渡部さん 町の人たちの、「人柄がいい」というのは大きいと思いますね。なにか困ったときに頼れたり、気に留めてくれたりするあたたかさがあるというか。

——-コミュニティとして、安心感があるのですね。

渡部さん そうですね。妻は完全に移住者なのですが、近所の方がよく声をかけてくれたり。地域の人たちと「顔の見える関係」を築けている、というのは大きいと感じています。同年代のパパ・ママたちと、なにかあったら情報共有できるのも、ありがたいです。

「同年代での関わり合いや、子育ての先輩たちとお話できるのがありがたい。」と渡部さん

——現在、小高は渡部さんにとってどのような場所でしょうか?

渡部さん 小高にはなにかにチャレンジしたい人も多いです。でも、“何者でなくても暮らしていける”というのが、今の小高の大きな魅力だと思います。

——-おっしゃっていた、“暮らす場所“としての心地よさですね。

渡部さん エネルギッシュになにかを成し遂げるだけじゃなくて。働き方と暮らしのバランスをとって、自分なりの幸せを追いかけていきたいです。

小高に“暮らす場所”としての魅力を感じながら、ご自身や町を俯瞰する視点を持ち、新しい人や出来事との出会いを楽しむ渡部さん。これからも、ご家族と心地よく暮らす時間を大切に、小高で豊かな時間を描きつづけていきます。