情熱と夢を原動力に、“幻の梅”露茜の栽培に挑む。

情熱と夢を原動力に、“幻の梅”露茜の栽培に挑む。

小高で16,000本の梅の木を育てている大内安男さんは、その希少性から“幻の梅”ともいわれる品種・露茜の栽培に挑んでいます。ご自宅でお話しを伺うと、その挑戦の原動力となっていたのは想像を超える、大内さんの果てしない情熱と夢でした。

もう一度、梅を小高のシンボルに。

取材当日、ご自宅を訪ねると、敷地内にある広い作業場をテキパキと動き回る大内さんの姿が。この日は地元の小学生が、大内さんの梅農園へ収穫体験に訪れるそうで、大内さんは準備の真っ最中。「忙しい時にすみません!」そうお詫びすると「全然、大丈夫!」と快く対応してくれました。

現在、梅やカバープランツ(芝生や芝桜など)を栽培している広大な農場を、奥さんと5人のベトナム人実習生とともに管理している大内さん。どんなに遅くまでお酒を飲んでも、毎朝5時には仕事を始めるという溢れんばかりのバイタリティの持ち主です。

——大内さん、子どもたちが来るのは楽しみですか?

「もちろん!楽しみだし、嬉しいね!」

目を輝かせながら答える大内さんは、子どもたちの訪問が待ちきれないといった様子。

「今日は収穫した梅で果汁100%のジュースを手作りするんだ。もうジュースを作るための道具も全員分用意してあるよ」

そう言って箱から新品のタンブラーを取り出し、微笑みながら見つめる大内さん。

——子供たちにとって、きっと忘れられない体験になりますね。

「そうだといいな。今日の体験をきっかけに、将来自分も小高で梅づくりをしたいと感じてくれる子が一人でもいればいいなと思ってるんだけどね」

令和5年6月で3回目の収穫期を迎える梅農園は、大内さんが自らの手で整備し、苗を植え、時間をかけて世話をしてきました。その労力は並大抵のものではなかったはずです。

——なぜ小高で、こんなにたくさんの梅を育て始めたんですか?

「小高に戻ってきた時に、ご先祖様たちが工夫を凝らし、苦労を重ねて拓いてきた土地を疎かにするわけにはいかないと使命感が湧いたんだよね」

避難指示の解除後、大内さんが目の当たりにしたのは、草が伸び放題で荒れ果てていた土地でした。小高は元々、水持ちが悪く、稲作には向かない土地。畑を耕すことで、もう一度土の力を蘇らせようと、もち麦の栽培から始めたといいます。

その後、新たに栽培する農作物をカタログで探していて「ピンときた!」というのが、「露茜」という梅の新品種でした。「平成の大合併の前、小高の町花は梅(紅梅)だったんだよね。梅は地域のみんなも愛着があるし、再び小高のシンボルとして、町おこしにつなげられないかと思ったんだ」

挑戦だけで満足せず、しっかりとカタチに。

「露茜」の特徴は、なんといっても真っ赤な実。他の品種で作られる梅ジュースや梅酒は赤みを引き立たせるために色素を加えることもあるといいますが、この品種では梅だけでルビーのような深く美しい紅色に仕上がります。

しかし、新品種の露茜は安定して収穫できる栽培方法が確立されておらず、流通量が少ないため、“幻の梅”といわれることも。当然、大内さんも試行錯誤を繰り返してきました。前例がないため、設備機器の導入や保存方法の開発、リサーチなどを独学で実施しています。作業場には収穫した実を追熟・冷凍させる設備や長期間保管するための大型コンテナを完備。保存する際の温度や窒素濃度の調整なども、いくつものパターンを試しています。

——ここまで力を注いで大変じゃないですか?

「何てことはないよ。でも、普通じゃ続けられないだろうな。まずは設備を整えるのが難しいし、お金になるまで時間がかかると熱意だって冷めてしまうよな」

——大内さんは熱が冷めないんですね。

「何でだろうな。昔から新しいことを求める性格だったからかな。挑戦することは嫌いじゃなかったし、折れずに信念を通すってことを大切にしてるんだ」

その大内さんの“折れない信念”の成果は梅の実となって、結実しています。

「大切に育てているというプライドもあるし、あとはなにより、小高の梅の良さを信じているんだよね」

その力強い眼差しからは、大内さんが乗り越えてきた道の険しさが感じられました。

——チャレンジすることは怖くないですか?

「うーん、正直、現実は甘くないよ。何かに挑戦するときは投資が必要だし、不安も大きい。失敗したくないから、ハラハラする。だからこそ、精一杯がんばるんだ。あとは、夢半分だな」

——大内さんの夢って、何ですか?

「まず実現したいのは、地元のコンビニだけに俺の梅干しや梅ジュースを並べること。まずは地元の人たちに俺の梅を『いいね!』と思ってもらいたいんだ」

少年のようないきいきとした表情で、大内さんは続けました。

「自分が成功することで、小高の誰かの力になれたら。そう考えると、“誰かの喜び”が一番嬉しいことなのかもしれないな」

取材を続けていると、子どもたちが訪れる時間が近づいていました。

「実は、いつもはもっとボロボロの作業着で仕事をしているんだ。でも今日は子どもたちが農園に来るから、きちんとした格好に着替えたの。梅づくりに夢を見てほしいからね」

夕方、梅農園に40人の子どもたちが到着すると、大内さんはあっという間に囲まれ、いつの間にか「先生!」と呼ばれていました。収穫した梅を自慢げに見せにきた一人ひとりに「おっ!いいの採ったな!」「まだ早い!」「力持ちだなー!」と声を掛けます。収穫開始から20分ほどで、そこら中に実っていた梅はほとんどが収穫されてしまいました。「来年から収穫は子どもたちにお願いしようかな!はっはっは!」。

挑戦することに満足するのではなく、しっかりとカタチにするために。大内さんは経営的な視点を持ちながら、原動力となっている情熱と夢を大切にしていました。 その果てしないエネルギーで、パワフルに進んでいく大内さんの挑戦が、今後ますます楽しみです。そして、大内さんのような情熱ある方が生きる小高は、これからもっと子どもたちや若い世代、小高の外の人々を惹きつける場所になっていくのではないでしょうか。