荒ぶる裸馬を素手でつかまえる神事「野馬懸」に挑む、御小人の想い。

荒ぶる裸馬を素手でつかまえる神事「野馬懸」に挑む、御小人の想い。
(小高観光協会 提供)

一千有余年の歴史を誇り、国の重要無形民俗文化財にも指定されている祭典「相馬野馬追」。毎年7月の3日間にわたって繰り広げられる、見所満載の行事の最後を飾る神事「野馬懸(のまかけ)」をご存知でしょうか。野馬追の中でも、唯一昔の名残を留めるこの神事で、危険かつ重要な役目を担うのが“御小人(おこびと)”たち。その知られざる本音や想いを御小人を務める佐藤和人さんに伺いました。

代々、野馬追に参加してきた佐藤さん一家

お話しを伺った佐藤邦夫さん(左)と和人さん(右)

南相馬市周辺を鎌倉時代初期から治めた相馬氏の遠祖にあたるといわれる平将門が、下総国(現在の千葉県)に放した野馬を敵兵に見立てて追った軍事練習が起源とされ、その後時代の移り変わりとともに神事へと役割を変えた「相馬野馬追」。その本番を約2週間後に控えた7月中旬、一家代々、野馬追に参加しているという佐藤和人さんのご実家を訪ねました。

相馬野馬追に向けて準備が進む
かつての和人さんの部屋は甲冑や馬具の保管場所に

離れになっている倉庫には、野馬追で使用する馬具や旗がずらり。その横にある一室には、甲冑や陣羽織も保管されていました。

——すごい!これだけ甲冑が並んでいると、戦国時代にタイムスリップしたみたいです。

和人さん ここは元々、俺の部屋だったんですよ。この窓を開けると、すぐ目の前に飼っていた馬が見えてね、一緒に生活していた感じでした。

和人さんは朝4時から野馬追の練習を行っている

現在43歳で生まれも育ちも小高の和人さんは、普段は会社員として働き、野馬追の約1カ月半前から野馬追の朝練に励んでいるそう。

——そんなに日焼けするくらい練習に力を入れているんですね。

和人さん これは趣味のサーフィンのせい!(笑)。この辺りだと1年中乗れるからね。

——失礼しました!ちなみに初めて野馬追に参加したのはいつですか?

和人さん 高校1年生の時に平騎馬として参加したのが初めてですね。小さい頃から毎年見ていたから早く参加したくて。緊張したけど、楽しかったな。

2日目に行われる「神旗争奪戦」での和人さん(相馬野馬追執行委員会 提供)

また、「和人の祖父、つまり私の父が野馬追に熱中する人でね」と説明してくれたのは、和人さんの父親の邦夫さん。現在79歳、12歳の頃から野馬追に参加している大ベテランで、今年(令和5年)も2日目の本祭りに行われる「お行列」に参加する予定だといいます。

——もう、ずっと野馬追に出続けられているんですね。

邦夫さん 毎年、もう今年はいいかなと思うんだけど……。うん、やっぱ出るんだなあ。

そうしみじみと考え込むようにつぶやきながら、邦夫さんは和人さんが甲冑に付ける“肩証”を丁寧に手縫いしていました。

唯一、昔ながらの名残を留める「上げ野馬の神事」

初日の「総大将御迎」、2日目の「甲冑競馬」「神旗争奪戦」など、さまざまな行事が行われる相馬野馬追を締めくくるのが、最終日の3日目、相馬小高神社を舞台に行われる神事「野馬懸」です。この伝統的な祭りで、唯一昔ながらの名残を留める「上げ野馬の神事」ともいわれており、相馬野馬追が国の重要無形民俗文化財に指定される重要な要因となりました。

野馬懸は明治時代に野馬の捕獲が始まるまで、原町区萱浜の巣掛場木戸から追い出された野馬の群れを、旧小高城跡(現在の相馬小高神社)に設けられた竹矢来(たけやらい)に追い込んでいたという故事に基づいたものです。つまり現在の野馬懸こそが、元々は野馬追そのものを指していました。

裸馬が坂道を駆け上がる姿は迫力十分(小高観光協会 提供)

ここで野馬懸の一連の流れを説明します。

まず始めに騎馬武者が3頭の裸馬を相馬小高神社の境内に設けた竹矢来に追い込みます。

“駒とり竿”で御印を付けるのも一苦労(小高観光協会 提供)

馬が竹矢来に入ると、神社の氏子が竹竿に藁束をつけた「駒とり竿」という大きな筆に御神水を浸し、逃げ回る馬の背中に御印をつけます。これが神馬の印です。

古式にそって素手で馬をつかまえる御小人たち(小高観光協会 提供)

いよいよ、御小人の出番。お祓いを受けた白装束の御小人たちが、神馬を追いかけ、素手でつかまえます。

——馬具もない、走り回る馬をどうやってつかまえるんですか?

和人さん まず馬のたてがみを掴んで、落ち着いてきたら、馬の前脚に自分たちの足を絡めて動かないようにします。昔からこのやり方なんです。

そうして御小人たちが力を合わせてつかまえた神馬を神前に奉納するまでが野馬懸です。

地域の平安を祈り、神馬として神前に奉納される(小高観光協会 提供)

荒駒を素手でつかまえるという行為には、当然ながら危険が伴います。そのため震災前までは、日常的に馬を扱っている他県の牧場のスタッフなどが御小人を務めていたそう。しかし、邦夫さんによると「たぶん高齢化などの問題もあって」、震災後は野馬懸への参加が見送られるようになりました。

「勢いに任せるだけ!」毎年ぶっつけ本番の一発勝負

子どもの頃から馬の扱いには慣れているそう

野馬懸の存続の危機に、危険な御小人役を務めようと手を挙げたのが、和人さんを含めた小高の若手たちでした。

——その時はどういう想いだったんですか?

和人さん 大それたことは考えてないけど、このまま終わらせるわけにはいかないし、俺たちがやるしかないかという感じで。

時には流血する御小人もいるほど荒々しい神事(相馬野馬追執行委員会 提供)

しかし、野馬懸の手順やコツなどの引き継ぎは一切なかったといいます。

——でも野馬懸って、内容が内容だけに練習はできないですよね?

和人 そう!一応、子どもの頃から見ていたので、最初は見よう見まねでしたね。

——毎回本番に挑む時はどういう心境なんですか?

和人さん 「もう勢い任せでいくしかない!」という感じですね。馬を追いかけている間は、何も考えてなくて。

これまで和人さんは野馬懸に10回参加したといい、その中には興奮した馬が竹矢来から脱走したり、御小人が馬蹴りされたりという危険な出来事もあったそう。

——裸馬が脱走したら、それは本当に野馬ですね。和人さんは大きな怪我はしたことないんですか?

和人さん ないですね!何となく危ない馬はわかるんですよ。そういう時は若手に行かせて、もうすぐつかまえられそうな“おいしい時”に前に出るようにしています(笑)。

——怪我をしない秘訣(?)ですね!

「御神水のかけ方はアドリブ」と和人さん(相馬野馬追執行委員会 提供)

また、野馬懸では瀕死の怪我を負った御小人に御神水をかけると、たちまち蘇生するという言い伝えがあり、水をかけるのは和人さんの役目です。

和人さん 一気にぶっかけたり、チョロチョロかけたり、駒とり竿でちょんちょんとつついたり、実は毎年細かく変えてるんですよ(笑)。

神事の中でも遊び心を忘れない和人さん。その動きに会場からは笑い声が起こり、祭りのムードをさらに盛り上げます。

歓声や拍手が御小人の力に変わる(相馬野馬追執行委員会 提供)

馬に振り落とされたり、引きずられたりしながらも、何とか馬をつかまえ、神社に奉納する頃には御小人たちはヘトヘトの状態に。

——野馬懸が終わった時は、どういう気持ちなんですか?

和人さん もうボロボロになって、御小人のみんなで「つかっちゃー!」とか言いながら、それでもすぐに「おもしろかったし、また来年!」という気持ちになるから不思議ですね。

こうして御小人はそれぞれの健闘を称え合い、和人さんの野馬追も幕を閉じます。

「怪我をしないのが第一」と相馬小高神社で安全を祈願

——これからも野馬懸が盛り上がり続けるといいですね。

和人さん 最近はSNSの影響で観客が増えていて。多くの人が来てくれることで、自分も祭りも、小高も盛り上がるので、野馬懸のかっこいい姿をたくさん発信していきたいですね。

堂々と掲げられた佐藤家の旗印(小高観光協会 提供)

ちなみに、佐藤さん一家の旗印は“いろは”の文字。邦夫さんもその理由はわからないとのことですが、物事の始まりを表す3文字に、もし「他者に先駆ける」といった想いが込められているとすると、野馬懸を守るために真っ先に手を挙げた和人さんには、その精神が知らないうちに受け継がれているのかもしれません。

令和5年の相馬野馬追は7月29日に幕を開け、最終日の31日に野馬懸が行われます。これまでの歴史や御小人に思いを馳せながら、その迫力を現地で体感してみてはいかがでしょうか。

なお、小高区では相馬野馬追開幕の前日、参加する騎馬武者たちが武運長久と武勲を祈願する「歴代相馬藩候墓前祭」が相馬家菩提寺・同慶寺で行われます。(令和5年は7月28日に実施。)

令和5年7月31日の野馬懸の模様は後日、本サイトの『おだかるぴーぷる』で動画として公開予定です。ぜひ、ご覧ください。


相馬野馬追公式サイト URL:https://soma-nomaoi.jp/

※相馬野馬追は毎年7月の最終土・日・月曜日の3日間に開催