5,700年前から“おだかる”?がんばりすぎず、豊かに生きた浦尻縄文人。
南相馬市には、縄文時代の遺跡が200カ所以上もあります。その中でも貴重な出土品が多く発見されている遺跡の一つが、小高区にある国指定史跡「浦尻貝塚」です。その一角に2023年7月、「貝塚観察館」が開館。当時の暮らしを探るため現地を訪ねると、私たちと“浦尻縄文人”の意外な共通点が見えてきました。
約3,000年の情報が眠る浦尻貝塚
浦尻海岸を望む段丘にあるのが、国指定史跡「浦尻貝塚」。現地では貝塚全体を見学できる「浦尻貝塚縄文の丘公園」の整備が進められています。その斜面に佇む、まっ白な建物が、公園に先駆けて開館した「貝塚観察館」。まるで美術館のようなシンボリックな雰囲気です。
今回、貝塚を案内してくれたのは、南相馬市教育委員会文化財課職員の川田さん。縄文時代から弥生時代を中心とする考古学の専門家で、2000年頃から始まった浦尻貝塚の発掘調査に深く携わってきました。
——今日はよろしくお願いします!浦尻貝塚って、どういった遺跡なんですか?
川田さん 縄文時代は約1万年続きましたが、この貝塚は5,700年前から2,800年前まで、3,000年という長期間にわたって営まれました。一般的な遺跡だと長くても1,000年くらいですね。
——3,000年!早速、スケールが壮大ですね!
川田さん キリストの誕生が今から約2,000年前ですからね。それだけ長い歳月が経つと当然、自然環境も変わり、生活も変わります。この貝塚には、そういった情報がたくさん蓄積されているんです。
——かなり重要な遺跡なんですね。
川田さん それでは観察館を見学する前に、遺跡全体について説明しましょう。
そう言って斜面を登る川田さんについていくと、ちょうど観察館の西側あたり、草原が一面に広がる丘の上に出ました。
——正直、ただの草原に見えるんですが……。
川田さん 周囲も含めて、これほど人工物やモニュメントがない遺跡も珍しいんですよ。
——確かに他の所だと、よく復元した竪穴式住居とかありますよね。
川田さん ここの竪穴住居はデータが少ないので、無理矢理作っても真実味がなくなってしまいますしね。実は考古学者はこういう何もない方が好きだったりします(笑)。
——なかなか“ツウ”な貝塚なんですね。この場所には何があったんですか?
川田さん ここには古いムラがありました。浦尻貝塚には古いムラと新しいムラがあって、2、3軒、一家族4人ほどが住んでいたと考えられています。そして貝塚は全部で4つ発見されています。
——そんな少ない世帯数でもムラなんですね?
川田さん そうなんです。縄文時代はそれ以降の時代に比べて大規模な集落を形成することはなく、多くても10軒ほどと考えられています。それに一番近い集落間でも5kmほど距離が開いていたようです。
——お隣さんがそんなに離れていたんですね。
川田さん 縄文人は食糧や道具、衣服の材料など、自然を利用して暮らしていたので、その資源を取り尽くさないようにしていたんです。
——なるほど。資源となる自然を守っていたと。
川田さん 特に浦尻貝塚は周りに森、海、川があって、資源にとても恵まれた場所なんです。ムラは津波も届かない高さにありますし、それが3,000年も使われ続けた理由かもしれませんね。
——そんなにいい場所だったら、取り合いになったりしないんですか?
川田さん 縄文時代は武器も見つかっておらず、大きな争いがなかったと考えられています。むしろ別の集落と積極的に交流を図っていたと考えられているんですよ。
——平和な時代だったんですね。
川田さん 例えば漁をする時には別の集落の人たちに手伝ってもらって、収穫物を分けあったり、別の集落の人と結婚したり。交流していたことは、この貝塚で道具に使っていた石が、山形のものだったりすることからもわかります。
——(場所やモノを占有せず、シェアして助け合う。そんな縄文人が今の社会を見たら、何というかなあ)
川田さん あ、そういえばあれを見てもらいましょう!“縄文スコープ”。
まるで『ドラえもん』の“ひみつ道具”のような名前を口にして先へ進む、川田さん。どんな未来のアイテムが出てくるのか胸を躍らせていると…
川田さん これです!まだ試作段階ですが、のぞきながらハンドルを回してみてください。
—— こ、これは!圧倒的なアナログ感!
川田さん このARやVR全盛の時代に、あえてアナログに振り切ってみました。好き嫌いは完全に分かれます(笑)。
カタカタとハンドルを回せば、当時の浦尻貝塚の様子がよみがえる(?)縄文スコープ。詳細は伏せますので(というか伝え方が非常に難しい)、気になる方はぜひ現地で(期待のハードルは、グッと下げていくことをおすすめします)。
全国初の立体的な展示が見られる「貝塚観察館」
いよいよ2023年7月に開館したばかりの「貝塚観察館」へ。入り口の壁面には早速、貝塚が。実物にふれることができる珍しい展示です。
川田さん 常時、触ることができる展示は全国でもここだけだと思います。この観察館はただ見るだけではなく、体感できることを大切にしているんです。それでは入りましょう。
重厚な引き戸を開く川田さん。すると目に飛び込んでくるのは、空間のほとんどを占めるほど大きな貝塚!
——すごい迫力ですね!
川田さん これは古いムラの貝塚の一部分で、剥ぎ取った貝塚の表面と断面を組み合わせた立体的な展示手法は全国でも初めてです。
——貝塚からはどんなことがわかるんですか?
川田さん 貝塚の出土物からは、この地域の縄文人がどんなものを食べて、どう過ごしていたか。当時の歴史や文化に迫ることができます。
——捨てられたものが当時を知るための大切なヒントに。
川田さん それと実は貝塚はただのゴミ捨て場ではありません。人骨やお祭りの道具も埋められていて、捨てるというよりも「あの世に送る」というような意味合いが強かったと考えられているんです。
——埋葬のような感じだったんですね。
川田さん その証拠に貝塚は、同じ場所に集中して作られていて、そこ以外に捨ててはいけないというルールもありました。また、土器や動物の骨が丁寧に置かれています。
——まるでお供えものですね。具体的に浦尻貝塚からは、どんなものが見つかっているのですか?
川田さん 土器や石器、お祭りの道具の他に、アサリやハマグリ、フナ、ウナギといった内湾で獲れるものの貝殻や骨、動物ではイノシシやシカの骨なども見つかっています。
——この周辺で獲れるものが中心なんですね。
川田さん ちなみにいわきではカツオやタイなど、外洋で釣りやモリを使って獲るものが多くて、縄文時代はだいぶ地域差が大きかったんです。
——いわきには昔から外洋に出掛ける漁師が多かったんですね。
川田さん 一方、浦尻の縄文人は外洋で潜ったりせず、いろいろな道具や罠を試すなど、体を張るよりも、がんばりすぎずにチャレンジすることが好きな人たちだったようです。
——がんばりすぎない浦尻の縄文人!何だか今っぽいですね。
川田さん また、いわきの遺跡からは、凶暴なサメの骨で作った装飾品も見つかっていて。これは大きな獲物を仕留めた人などが、その力や権威を示すためのものと考えられています。
——サメ!いかにも強そう。
川田さん ただ浦尻の縄文人は、そういったものに見向きもしなかったようで。たぬきの牙の装飾品くらいは見つかっているのですが。
——たぬき!かわいい!浦尻の縄文人は牧歌的ですね。
川田さん そこまで大規模な集落でもないし、複雑な利害関係がなかったんでしょうね。
縄文人も現代人も、同じ人間。違うのは文化だけ。
川田さんの説明を聞いて、どんどん明らかになってくる当時の暮らしぶり。段々、浦尻の縄文人が好きになってきました。
川田さん ここに見えるのはイタボガキという貝で作られた腕輪です。
——これって、おしゃれのためなんですか?
川田さん おしゃれと宗教的な意味合いの両方だと思います。ちなみに縄文時代の一時期には、八丈島の貝で作った腕輪が全国に広まったりもしたんですよ。
——縄文時代にもファッションのブームとかあったんですね。
川田さん 縄文人といえど同じ人間ですからね。基本的には現代人と感覚が一緒で、違うのは文化だけです。
——美しいとか、おいしいとか、悲しいとか。私たちと同じってことですね。
川田さん そうですね。例えば土器や道具を作るときにもシンメトリーにしたり、あえて外してアシンメトリーにしたりといった美意識がある点も今と同じで。結構、縄文人は“外す”のが好きですね。
おしゃれ上級者のテクニック“外し”も使うとは!勝手に縁遠い存在だと思っていた縄文人が、とても身近に感じてきました。
——色々なモノを作ったり、装飾にこだわったり、浦尻の縄文人は自由で豊かな感じがします。
川田さん その理由になるかわかりませんが、縄文人が1日に働くのは2、3時間で、生活以外のことに使える時間はたっぷりあったという説もあります。
——時間や心のゆとりが、縄文人の豊かさや個性を育んでいたのかもしれませんね。
2024年度中には、浦尻貝塚や縄文時代のことが学べるガイダンス施設を含めた「浦尻貝塚縄文の丘公園」が完成予定。最後に川田さんに、ここがどのような場所になってほしいか尋ねました。
川田さん 地域外の方には、この丘で海を眺めながら、昔から人が住んでいた歴史や地域の自然、どこかのんびりした文化を感じてほしいですね。そして地域の方々にとっては、地域と人が関わり続けるための庭のような場所にしたいと思っています。
——公園の完成が楽しみになりました!今日はありがとうございました!
実際に公園では遺跡ということにとらわらず、地域の方々が楽しめる活動を行う予定だといい、公園の市民検討会では押し花や太極拳といったアイデアも出されたそうです。
観察館から外に出ると、海岸から心地いい海風が。ここで暮らした縄文人たちも、きっと同じように感じていたはずです。
決して大規模ではなくても、自然を大切に、周囲の人々と交流しながら、自分らしく豊かに生きていた浦尻の縄文人。もしかしたら5,700年も前から、“おだかる”な暮らしを送っていたのかもしれません。