ぷくぷく醸造の酒蔵が小高にオープン!
「地域の魅力を醸す地酒を」代表・立川さんが極めたい酒造りとは。

ぷくぷく醸造の酒蔵が小高にオープン!<br>「地域の魅力を醸す地酒を」代表・立川さんが極めたい酒造りとは。

これまでも、おだかるに度々登場していただいたぷくぷく醸造。“ファントムブルワリー”として酒造施設を持たずに、他のブルワリーの設備を借りて酒造りを行ってきた同社ですが、2024年11月に念願だった自社酒蔵を小高区仲町にオープンしました。いま、この土地で酒造りを始めた理由とは。ぷくぷく醸造の代表で、小高区に暮らす立川哲之さんに伺いました。

ファントムブルワリーから、小高に“定住”した酒蔵。

取材当日は、まだ工事中だったショップスペースでお話を聞かせてくださった立川さん

もともとは民家で、空き家になっていた建物を改築して酒蔵に。建物の中には、まだ一部工事中の部分も見られます。(2024年10月現在)

——今日はよろしくお願いします。 ここは、完成したらどんな場所になる予定ですか?

立川さん 建物の西側の醸造設備は完成しています。東側のスペースは現在工事中で、将来的にはお酒を販売するボトルショップ兼バーになります。ゆくゆくは、ここで造ったお酒と一緒に食事も提供する予定です。

——ぷくぷく醸造のファンが集まれる場所になるのですね、ワクワクします!

ご近所の方たちを招いてのプレオープンイベントも行われ、この醸造所で初めて仕込んだお酒が振舞われたそうです。立川さんの酒蔵オープンを祝うために多くの方々が訪れ、ショップやバーの完成も待ち遠しい!という声が寄せられたのだとか。

プレオープンイベントにて醸造タンクの前で施設の説明をする立川さん。小高区内から多くの方が集まりました

東京都出身で、関東の大学に通っていた立川さん。震災の復興ボランティアとして学生団体に所属し、たびたび東北や福島県を訪れるように。そして東北の酒と食べ物の魅力を発信するイベントの主催なども務める中で、お酒への興味を深めていったそうです。卒業後、一度は企業に就職するも「やっぱりお酒をやりたい」と、日本酒業界の道へ進みました。

——キャリアを変える決定打になったものは、なんだったのでしょうか?

立川さん 思ったよりもお酒が好きだった、ということですかね(笑)。学生時代、情熱をもって東北やお酒に関わっていました。そんなふうに、本気で何かに向き合うということを社会人になってから、またやりたくなって。どうせなら24時間日本酒のことを考えていたかったんです。仕事にしたら、それができるなと思って。

——その思いの強さはすごいですね。では、ぷくぷく醸造を始めてからずっとファントムブルワリーとして活動されてきた立川さんが、今回酒蔵を構えたのはなぜですか?

立川さん 「好きなように造りたかった」という気持ちがいちばんにあります。ファントムブルワリーとして、僕はだいぶ好き勝手やらせてもらってきたと思うのですが(笑)、毎回初めての設備で、初めての土地でお酒を造るのってかなりのパワーと、さまざまな調整が必要です。

——たしかに大変そうです。造る環境で、お酒の味は繊細に変わってしまうんですよね。

立川さん そうですね、もちろん毎回発見が多く、ファントムブルワリーにはいい部分もたくさんあるのですが。もともといつかは自分の酒蔵を構えることを目指していたし、同じ場所や設備で「ひとつの酒の味を磨き上げる」ことを通して、自分のものづくりに集中したいという気持ちが大きくなってきたんです。

——これまでのファントムブルワリーとしての経験が、酒蔵を開くことに繋がっているのですね。

立川さん あと、僕がこの地域でやりたい酒造りは「地酒」を造るということなので。いまはまだ、僕ら「移住者が造った酒」にすぎないと思っている面があって。

——どのようなお酒が「地酒」と言えるのでしょうか?

立川さん 地域の人たちが自分のまちのお酒だと思ってくれたときにようやく地酒になれると思っています。いま、地域の人でぷくぷく醸造を小高のお酒だとわかってくれている人が、どのくらいの割合でいるのか。もしかしたら、飲んだことがない人の方が多いかもしれない。そういった考えがあるのに、小高以外の地域で酒造りを続けるのも「違うな」と思いました。

——「小高の地酒」造りを目指して。

立川さん あとは、水や微生物だって、その土地によって違います。米は他の地域に持っていけたとしても、水はその土地のものしか使えませんからね。

——それらも地酒を地酒たらしめる、その土地だけの大切な要素なのですね。

酒造りの舞台が、小高だったわけ

新しい酒蔵で初めての仕込みを行う立川さん。ここから、小高の地酒誕生を目指します

——では、そもそも、なぜ小高で地酒を造りたいと思ったのでしょうか?

立川さん いろいろな理由がありますけど、地域の方たちにこれまでめちゃめちゃお世話になってきたということがまずひとつ。あとは、根本有機農園さんのように、魅力的なお米を作っている方が地域にいて。このお米を使い続けたいと思ったときに、小高で酒造りができるのがいちばんいいな、と思いました。

——立川さんにとって魅力的な環境がそろっていたのですね。

立川さん この浜通り、南相馬、小高が「いちばん日本酒が必要な地域である」と思ったことも理由のひとつです。

——日本酒が必要というのは?

立川さん 日本酒や地酒は、地域の文化の誇りとなり、アイデンティティとなるものだと考えています。いま、南相馬や小高にあるさまざまな課題を解決する方法のひとつとして、文化的なアイデンティティが必要だと思うんです。

——文化的なアイデンティティ。

立川さん 平たく言うと、「独自性のある土着の魅力」みたいなもの。それが圧倒的に必要な気がしています。「酒造り」ひいては「地酒」は、その地域にとって魅力のひとつになれるし、文化的にもとても大事な行為だと思うので。だから僕はここで日本酒をやらないとな、と思っています。

日本酒を飲む意味を、もっと濃く。

プレオープンイベントでは「穀物らしいお酒」としてみなさんに“どぶろく”をお披露目

ご自身の酒蔵を構えたことで挑戦できる幅が広がり、酒造りへの熱がよりいっそう高まる立川さん。話題はさらに深まり、ご自身が追い求める理想の酒造りのお話へ。

立川さん お酒の味の部分で言うと、以前から「矛盾した酒」を造りたいという思いを持ち続けてきました。

——矛盾ですか?

立川さん いま求められている日本酒って、フルーティーな香りだったり、キレイでクリアな味だったり、原材料が米であることの理由が薄れてしまっているものが多いんです。穀物らしさが少なくなっています。

——それは現在の流行ですか?

立川さん そうですね、いわゆる吟醸酒ブームで、造るためにはひと粒のお米をたくさん削ってしまいます。もちろん、そんなお酒の良さも分かるし好きでもあるんですが。せっかくお米を使って造るんだったら、僕はもっと米が感じられる酒を造りたい。

——もっと米らしい日本酒。

立川さん たとえば、穀物らしさ=コクと、飲み手に受け入れられやすいクリアな淡麗さとでは、だいぶ離れた要素です。その2つを同じ液体の中に閉じ込めるって、かなり難しいことなんです。でも、それを実現させたいという思いがありますね。

——たしかに、矛盾した要素が、ひとつのお酒の中に美味しくおさまる。難しそうなことですが、ご自身の酒蔵があることで理想とする酒造りに向き合えるのですね。

立川さん 米らしさ・穀物らしさから、果物には出せない深みとか、日本酒じゃないと出せない味をしっかり求めていきたいなと思っています。

酒蔵とともに、挑戦したいこれからの酒造り。

近い将来、お酒を起点に多くの人々が集まる酒蔵になることを目指します

これまで日本酒の伝統的な枠にとらわれず、自由な発想でいろいろなお酒を造られてきた立川さん。この酒蔵でも、新しい挑戦を続けていくのでしょうか。

立川さん 僕が造りたいのは、日本酒や米のお酒。ただ、クラフトビールも好きで。この5年近く、クラフトビールと日本酒の技法を掛け合わせてきたのですが、僕の頭の中では果てしなく美味しいお酒が造れる、と思っているんです。

——果てしなく美味しいお酒、それは絶対に飲んでみたいです!

立川さん ただ、いまは技術的にも知見的にもまだまだ伸ばせる部分がある。僕もだし、業界的にも。この酒蔵を構えたことで、ホップと米を使ったお酒の美味しさを、さらに自分で最高点まで引き上げたいと思っています。

——これからも、美味しい「矛盾」のあるお酒を追求していくのですね。

「矛盾」のある実験的な酒造りが行われる醸造スペース

立川さん 実際にこの酒蔵の設備は、日本酒のように古典的な酒造りもできるし、日々世界中で知見が積み重なっていくクラフトビールの技法に学んで、かなり先端的なこともできるようになっています。

——そんな酒蔵は、あまり他には無いのでは?

立川さん そうですね。それこそ矛盾じゃないですが、両極端な設備がつまった酒蔵です。たとえばこの木桶は、酒造りでは江戸時代以前から使われていた道具で、今回は県内の川俣町の職人さんに作っていただきました。福島の杉と竹で編んでもらったもので、大切に使わせてもらいます。

職人手作りの杉桶。昔は酒蔵の桶は古くなったら味噌屋や醬油屋にお下がりしていたそうです

「酒造り」そのものを、大切に磨き続ける。

もともと五穀豊穣を願うために造られはじめたお酒。立川さんは「酒造りそのものが崇高な行為」と話しました

新しい酒蔵の設備紹介とともに、ご自身が理想とする酒造りへの思いを聞かせてくださった立川さん。最後に、今後の酒造りに向けて、改めて決意を伺いました。

立川さん 僕の軸は、あくまでも納得できる酒造りを追求することです。最近はなにかの手段として酒造りをする人が増えていて、それはそれでいいなと思うんですが、僕にとって酒造りは目的です。その上で、自分の酒造りに付随して、いろんなことが起こったらいいなと思います。

——それはたとえば、どんなことでしょうか?

立川さん 僕は以前から「福島県の浜通りに田畑を増やす」ことも目指してきました。日本は長らく稲作文化をもとに発展してきたのに、最近は荒廃した田畑が増えている。これはとても寂しいことだし、このままではシンプルに、住みたいと思えるような地域にならない気がします。

——「田畑を増やす」というビジョンと、酒造りのつながりというのは?

立川さん 酒造りは、一度に数百キロ~数トンというたくさんのお米を使わせてもらいます。農家さんが作付けをする前に買いたい量を相談させてもらえれば、農家さんとしては売り先がある状態で米が作れる。新規参入する農家さんとも、タッグを組みやすいと思うんです。

——地域の農家さんと、一緒に進んでいくのですね。

立川さん そうですね。あとは本当に美味しいお酒を造りたい。この気持ちがいちばん大きいです。良いお米を使わせてもらっていますから、その米に恥じないお酒を造りたいですね。

小高の米や水を使い、地域の農家さん、職人さん、ぷくぷく醸造のファンの方々と、一緒になって「小高の地酒」を生み出そうと進み続ける立川さん。新しい酒蔵は、美味しい酒造りに加え、お酒や立川さんの魅力に引き寄せられた人々が集い、新しい文化が始まる場所になりそうです。