まずは片足だけでもつっこんでみて。
福島県の相馬地方といえば、千年以上の歴史を有すると言われる『相馬野馬追』の里。この小高区も、毎年7月末になると、相馬小高神社を中心に野馬追の行事が開催され、地域に根付いた勇壮な武家文化が花開く。小高の人々は、こうした文化を先祖代々から脈々と受け継いできた。その小高の地域住民の中心的存在であるのが、林勝典さんだ。
小高区内の自治会組織である、39もの「行政区」を束ね、地域住民と行政の間に立ち、さまざまな政策提言や、住民の支え合い活動を行っている。いうなれば、林さんは「コミュニティマネージャー」のような立場のお方だ。これまでに移住者の相談にも乗ってこられたという林さんに、小高の住民代表として、移住を考えている方へのメッセージを伺ってきた。
小高で暮らす住民のために。
「この辺は気候も温暖で、非常に住みやすい場所。ただ、相馬の人っていうのは、意外と言葉が悪いんですよ笑。率直にいくのでね。東京とかに行くと『なんで怒ってるの?』ってよく言われる笑。ただね、気持ちはそんなじゃないから。優しい方が優しく接してるんですよ。」
御年74とは思えないような、はつらつとした声で、林さんはこう語ってくれた。
「小高区行政区長連合会 会長 林 勝典」。林さんの名刺にはこう書かれている。字面からすると、なんだか小難しい印象を受けるが、つまりは、地域住民のまとめ役。自治会組織のトップに立ち、市役所に地域住民の声を届けたり、住民主体のボランティア活動を行われたり… 小高に住む人が、安心して便利に暮らせるために、日夜奔走されている。
『おだかる』で、すでにご紹介した西山里佳さんともお知り合いで、「表現とつながる家『粒粒』」は、実はもともと林さんのご親戚の住宅だったらしい。
「双葉屋旅館の小林さんから『西山さんが家を探している』っていう話を聞いたんです。ちょうどその時に、うちの女房が相続してた家があったので、高いこと言わねえからってことで、西山さんに売ったんです。それで売ったお金で家の中に井戸掘ってやってね笑。」
双葉屋旅館の小林さんも、すでにご紹介したお方。小高の住民のみなさんの繋がりの強さがうかがい知れる。それにしても、譲った家に井戸まで掘ってあげるとは。林さんの懐の深さは並ではないようだ。
林さんは他にも、首都圏や福島市からの農業体験ツアーの受け入れや、観光イベント実施のサポートなど、さまざまな場で地域づくりの手助けをしていらっしゃる。地元の住民のみならず、外から来た人にとっても、心強い味方になってくれるお方だ。
南相馬・小高の地に生まれ育った者として。
そんな林さんが行政区長になったのは12年前のこと。行政区長は普段の地域活動の他にも、毎年夏の野馬追では氏子の代表として重要な役割を担う。林さんが行政区長になった翌年には、震災と原発事故があったが、この年にも野馬追は規模を縮小しながらも開催された。
林さんは避難先の福島市から野馬追に参加するため、一路小高を目指して車を走らせた。しかも、なんとこの時の林さんは、胃がんの摘出手術をした直後だったという。
「震災後は相馬市に1ヶ月、福島市の飯坂温泉に4ヶ月避難してたわけですけど、飯坂のうちの2ヶ月が入院生活。震災の3日前に健診して、震災後に結果が来て、そしたらがんですって。先生どうするんですかって聞いたら『手術です』って言われて。それを心臓の発作持ちの女房に聞かせたら、二人同時に入院になっちゃった笑。」
「それで、胃がんの手術を2011年の6月6日にやったわけですけど、2週間で退院して。7月25日には野馬懸っていう、野馬追の行事があるんですけど、これは氏子の区長として出ないわけにいかないので。飯坂温泉から車で一人、小高に向かったんです。」
終始笑顔でお話をされる林さん。震災だけでも大変な経験だったに違いないのに、なんと大病まで患われていたのだ。そんな状況でも、野馬追だけは絶対に、という。これこそが相馬の人間だと言わんばかりのエピソードだ。
野馬追をよりどころに、千年の文化が花開くまち、小高。
「相馬地方には南から標葉(しねは)郷、小高郷、中郷、北郷、宇多(うだ)郷って5つの郷があって、野馬追の時はそれぞれの郷で騎馬会を組んで、そこから馬を出すわけです。小高は標葉郷と小高郷の中心で、まちの中に小高城があって、昔から城下町として栄えた。作曲家や小説家も輩出した文化高いまちなんです。」
現在、相馬小高神社が鎮座している場所が、お話に出てきた小高城跡だ。小高城は、またの名を「紅梅山浮舟城」といい、小高の里は「紅梅の里」として、武家文化や町人文化が花開いた。
「その文化の中心になってたのは、やっぱり野馬追をはじめとしたお祭り。それぞれの行政区ごとで春は豊作祈願祭、夏は野馬追、秋は感謝祭と、みんなでやってきたわけです。」
小高の文化を表すエピソードとして、林さんはこんな話もしてくれた。
「震災の時に、相馬のお殿様の菩提寺にある、歴代相馬藩当主のお墓がみんな倒れちゃって。野馬追の騎馬会に所属してるクレーン業者や石屋さんと一緒に直しに行ったんです。その話を海外から取材にきた記者さんに話したら、びっくりしてた。『なんで避難指示が出てるのにそんなことするのか』って笑。」
相馬の人たちにとって、野馬追とお殿様はまさに精神的支柱。それが軸となり、人々がつながり、助け合い、千年にも及ぶ文化を作り上げてきたのだ。
住民も移住者も「おたがいさま」で。
今でも悠久の伝統が息づくまち、小高。一方で、移住を検討されている方からすると「地元のコミュニティが強固すぎて、入って行きづらいのでは…?」と思われるかもしれない。しかし、林さんは決してそんなことはないという。
「小高の人はみんな『おたがいさま』でやってますから。昔っから小高の人はみんなで助け合ってやってきた。お祭りも何も、みんなで一緒にやってきたんだから。」
「それに、震災の時我々も避難した経験があるから。外から来る人も、こっちで迎える人もおたがいさま。そういうわけなので、面倒見がいい人が多いなって思ってます。」
実際、小高のまちにはいま、移住者が続々とやってきている。街中には芥川賞作家の柳美里さんが開いた本屋「フルハウス」をはじめ、各地から小高へ移住してきた人たちが開いたお店が続々とオープン。地元の住民からも歓迎されているそうだ。
林さんは、これからの小高を担っていく人材として、移住者に大きな期待を寄せている。
「僕は移住してきた方には、自分の事業を成長させて行ってほしいと思っています。西山さんみたいに、自分の技術でもって事業を立ち上げたり、小高ワーカーズベースの和田くんみたいに、会社を立ち上げたりと。ああいう形でいろんなことに取り組んで行ってもらいたい。」
一方で、地元の人間として、小高の街を一緒に盛り上げようという仲間には最大限の支援をしたいという。
「若い人が独り立ちするまでは、何年かの時間はかかるでしょう。だから、地域おこし協力隊の制度を使ったりして、そこで3年間やって生活の糧を得るでもいい。もちろん、そこで失敗しても構わない。我々もいろんな人を紹介したりして面倒みますから。」
「小高は自分から飛び込めば、それなりに対応してくれるところ」という林さん。
「だから、まずは一番先に区役所でもどこでも行って相談してください。そこから本当に人が繋がっていくので。そこから対応してくれる人がいっぱい出てきますから。まずは片足つっこんでって。」
野馬追の文化、そして震災の経験−−−。 伝統の継承と、ゼロからのスタートという二つの時間軸が、いま小高では同時進行しているようだ。そして、それこそが小高において移住しやすい環境を作り出している要因なのかもしれない。
林さんのお話を聞いていると、小高のユニークな文化の渦へ、「片足つっこんでみる」のも面白いような気がしてきた。
※地域のお世話人制度について
南相馬市では、小高区へ移住を検討、または実際に移住された方を、地域住民の方がサポートしてくれる「地域のお世話人」制度があります。
林さんのように「地域のお世話人」として登録されている地元住民の方は、これまで地域で暮らす中で培ってきた経験や人脈、スキルを活かして、移住者がスムーズに地域に馴染めるようなサポートを行ってくれます。
「地域のお世話人」に移住にまつわるあんなことやこんなことを相談したい!という方は、ぜひ南相馬市小高区役所の地域振興課おだかぐらし担当までお問合せください。
文…久保田貴大 撮影…アラタケンジ