謎だらけの「大悲山の石仏」で僕が見つけた、一つの真実。
小高にある日本三大磨崖仏の一つ「大悲山の石仏」を初めて訪れたのは、愛知から移住してきた倉本留玖(るうく)さん。今回は、現地で感じた想いや発見などを留玖さんならではの視点でレポートしてもらいました!
初めての大悲山。樹齢1,100年の大杉でパワーチャージ!
はじめまして!現在、大学1年生の倉本留玖です。小高に移住して約3カ月、これまで地域のさまざまな魅力にふれてきましたが、一つ気になる話が。どうやら小高に謎だらけの石仏があるとか。何だかおもしろそう!気になった僕は現地へ向かいました。
お目当ての「大悲山の石仏」までは、小高区役所から車で5分ほど。目的地に近づくに連れ、徐々に人家も少なくなってきました。一抹の不安を覚えたまま山のふもとにある駐車場に到着すると、そこにはニコニコと満面の笑みのお二人が!
藤木さん 古代の考古学を専門に研究していて、震災後から大悲山の石仏について調べている南相馬市文化財課職員の藤木です。
石井さん 石仏を守る活動をしている「三尊保存会(さんぞんほぞんかい)」の会長の石井です。雨の日以外はほぼ毎日、石仏にお参りしています。今日は滅多に着ない一張羅の法被を着てきました!
何と!僕の“初石仏”をサポートするために、強力な助っ人が駆けつけてくれました。やっぱり小高の人はやさしい。
留玖くん 早速質問なんですが、大悲山って過去に何か悲しいこととかあったんですか?
藤木さん そんなことはないので安心してください。昔は大悲山(だいひさ)と呼ばれていて、「大悲」という字は仏教で観音様を表しているんです。この地に古くから石仏があり、仏教文化が栄えていたことから、そう名付けられたのだと思います。
石井さん 俺らが子どもの頃は「でーさ」って呼んでたんだよ。だいひさ、でーひさ、でーさって訛っていったんだな。昔はここにサーカスを呼んだりしてね。
留玖くん サーカス!ずっと前からみなさんに親しまれた場所だったんですね。
藤木さん ちなみに大悲山の石仏は、「薬師堂石仏」「阿弥陀堂石仏」「観音堂石仏」の3つから構成されていることをご存知ですか?
留玖くん えっ、そんなにあるんですか?
藤木さん そうなんです。国指定史跡にもなっていて、この石仏群は東北地方で最大かつ最古のもので、栃木の大谷磨崖仏(おおやまがいぶつ)、大分の臼杵磨崖仏(うすきまがいぶつ)とともに、日本三大磨崖仏に数えられています。
留玖くん 歴史的にめちゃくちゃ重要なものじゃないですか!早く見たくなってきました!
まずは駐車場のすぐそばにある薬師堂石仏を目指して石段を上ります。
留玖くん あ、参道の入り口に杖が。さすが地域の名所だけあって配慮が行き届いていますね。
石井さん ああ、それ誰が置いたかわかんないんだよね。
留玖くん え?
石井さん たぶんどこかの老人会だと思うんだけど。立派だし、野馬追のムチに使えるかもね!
留玖くん (ゆ、ゆるい。そして、まさかの小高ジョーク)
オープンな小高らしさを感じながら参道を上ると、目の前に現れたのは1本の巨木。これまで見たことがないほどの大きさです。その前に立てられた看板には「天然記念物 大悲山大杉」の文字。
留玖くん これくらい大きくなるのに何年かかるんだろう?
藤木さん この木は樹齢1,100年といわれていて、高さ45m、幹回りの太さは約8mもあります。
留玖くん せ、1,100年!
藤木さん 御神木とされていて、しめ縄は石井さんの保存会がつくっているんですよ。
石井さん そうそう。一年に1回、地元で育てた藁を集めて保存会のメンバー30人で手編みしてるの。長さは15mくらいかな。
留玖くん 保存会では大切な役目を担っているんですね。他にはどんなことをしているんですか?
石井さん 3つのお堂や周辺の清掃、お賽銭下げだね。そういえば、この大杉はパワースポットとしても人気で、木に手を当てる人をよく見るよ。
それじゃあ僕は全身でパワーチャージ!何だかちょっと元気が出てきたような気がします!
吹き出しちゃうほど迫力満点の「薬師堂石仏」
大杉パワーで足取りも軽く、薬師堂へ。堂内に入ると「風化を防ぐ除湿のため」(藤木さん)というガラス戸があり、その奥の石窟に石仏があるようです。今回は特別にガラス戸を開けて、石窟の中に入れていただきました。
留玖くん えっ、ええっ!でかっ!(笑)
想像以上の大きさに思わず吹き出してしまいました。心の底から驚いたとき、人は笑うのかもしれません。目の前には巨大な石仏が、どーんと鎮座しています。
藤木さんの説明によると、ここには4体の如来像と2体の菩薩像、線で表現された各2体の菩薩像と飛天が彫られているそう。高さは2m〜3mほどで、体のつくりなどから平安時代初期に作られたと考えられているものの、その目的や作者などは不明だといいます。
藤木さん この石仏の調査は一筋縄ではいかなくて。ただ、一つだけ石仏の真相や作者に迫るわずかな手がかりが残っているんです。
留玖くん (「犯人はたった一つだけミスをしました」みたいな言い方だ)
藤木さん 奈良の東大寺の大仏様の台座に線で彫られた、盧舎那仏の光背(※)の文様が如来像の光背とそっくりなんです。したがって奈良の仏像に詳しい仏師などの技術者が石仏の制作に関わった可能性が高いですね。
※仏身から放たれる光明を、文様などで視覚的に表現したもの
留玖くん そんな小さなヒントから犯に……、いや、作者に迫れるんですね。あれ?よく見ると、どの石仏も顔だけ劣化が激しくないですか?
藤木さん その通りです。これには3つの説があります。1つ目は明治時代の廃仏毀釈の時に顔が削られたという説。2つ目は病気の人が顔を削って薬代わりにしたという説。3つ目は細かい顔の表情は土で作っていたためにもろくて剥がれてしまったという説です。
藤木さん ちなみに一堂に並ぶ仏像は左右対称に作られることが多いのですが、そうなるとここには左端に1体足りませんよね。実は元々5体目の如来像があったと考えられていて、ガラス戸の前にあった大きな岩はその頭部ではないかといわれているんです。
留玖くん 幻の石仏の頭が!
石井さん 俺が子どもの頃とかは、大蛇の首だって大人にからかわれたんだよね(笑)。
留玖くん たしかに蛇の頭にも見えるかも。
大悲山には、石仏も登場する大蛇伝説が残っているのですが、それはまた別の機会に。
留玖くん あ、こっちのは顔がはっきりしてる!すごい石仏なんじゃないですか?
藤木さん いや、それは最近、誰かが作ったやつですね。
留玖くん そうなんですね……。
3人で参拝をして薬師堂を後にします。
石井さん 今日も一日よろしくお願いします!
留玖くん (……はっきりと口に出すんだ)
代々伝わる言葉だけが「阿弥陀堂石仏」の証
薬師堂石仏から100mほど歩いて見えてきたのは、こぢんまりとした阿弥陀堂。さあ、さぞかしここにも大きな石仏が……って、これは一体?
藤木さん この石仏は、3つの中で最も剥落が激しいんです。現在は石仏の芯がかろうじて残っている状態になっていて、地域の人たちの間で「阿弥陀様」とずっと呼ばれてきたことから、これが阿弥陀石仏であったと推測されています。
留玖くん 地域で言い伝えられてきた言葉だけが、阿弥陀堂石仏であることの証なんですね。それはそれで奥深い話だなあ。
もちろん阿弥陀堂でもしっかりと参拝します。
石井さん 今日も一日よろしくお願いします!
留玖くん (……あ、また言ってる)
石井さんは僕の後ろでお祈りしています
まるでラスボス?日本最大級の「観音堂石仏」へ
阿弥陀堂から500mほど歩いて辿り着いたのは「観音堂石仏」。立派な観音堂が見えてきましたが、これまでの2つを考えると、近くで見るまでどんな石仏があるかわかりません。
石仏の前に立つと自動的に明かりが付き、石仏が照らし出されます。そこには見上げるほど大きな千手観音像が!
藤木さん この千手観音が、この石仏群の本尊だと考えられています。高さは約9mあって、日本最大級の石仏なんです。
留玖くん 手もたくさんあって、なんかラスボス感がすごいですね。
藤木さん 千手観音の周りにたくさん刻まれている小さな仏は「化仏(けぶつ)」といいます。千手観音の霊験、パワーみたいなものによって、人を救うために出現した仏の化身といわれています。
留玖くん いい方のボスなんですね。
さらに藤木さんの詳しい説明によると、この千手観音は「十一面千手千眼観音」と呼ばれ、千の目と手でどんな願いも見落とさず、すべての人と救うという慈悲を表しているそう。どんな願いも見落とさない……、これは参拝しない手はありません。
石井さん 今日も一日よろしくお願いします!
留玖くん ……石井さん、それ毎回言ってるんですか?
石井さん そうだよ!孫も家族もいるし、いっぱいお祈りしないとね!
地域のかけがえのない存在として
観音堂石仏から駐車場へ戻る道中、石井さんに石仏への想いを伺いました。
石井さん やっぱり、地域の先人たちが守ってきたものだからね。これからも未来に残していかないと。そういえば足腰が弱くてお堂まで行けないおばあさんに「お賽銭してきて」って、突然頼まれたこともあったなあ。本人は石段の下で手を合わせてたね。
藤木さん それくらい地域の方々に根付いた、信仰の場になっているんですね。実際にこの石仏は作られたときから、人々に忘れ去られることなく、守り抜かれてきたという歴史もあります。
留玖くん それは絶対に守っていかなければいけませんね!
石井さん ただ保存会もメンバーの高齢化が進んでいるからねえ。あ、そうだ!これ着てみて!
留玖くん えっ?
おもむろに法被を脱ぎ、僕に着させる石井さん。
石井さん よし!これで保存会は30年先まで安泰だ!
藤井さん 似合いますねー。
留玖くん いやいやいや!(笑)
今回、大悲山の石仏を初めて訪れてみて、そのほとんどが謎に包まれていることに驚きました。ただ、一つだけ確かな真実を見つけることができました。それはこの石仏が地域の人たちにとって昔も今も、きっと未来も、かけがえのない存在だということです。
そして、そんな心のより所が身近にあること、それを大切に守る人たちがいる事実こそが、とても幸せなことなんじゃないかと感じました。(保存会入会の件は置いておいて)また、ゆっくり訪れてみようと思います。