ゼロから養蜂へ。やろうと思えばできる。
穏やかな日差しで美しく琥珀色に輝くはちみつ。週末も手入れを施すほど大事に育てられているのが、耕作放棄地を有効活用して作られるはちみつブランド「里山ハニー」だ。手がけるのは、小高区の山側、大富地区出身の渡部義則さん。「この里山の環境を維持していく」。そんな地元への熱い思いをもつ渡部さんに小高区での仕事や暮らしについて伺ってきた。
口コミが県外にも広がる「里山ハニー」
渡部さんは現在、娘夫婦と2019年12月に設立したClean&Bee総合企画合同会社に勤めている。大富地区に広がる耕作放棄地の有効活用や住環境の整備を目的に、害獣駆除や草刈り・清掃、地区の見回りなどさまざまな事業を行っている会社だ。その一つに、渡部さんが立ち上げた養蜂事業がある。そこからうまれたのが「里山ハニー」。
「里山ハニー」の種類は、アカシア、百花蜜、ヘアリーベッチの計3種。大富地区の耕作放棄地にヘアリーベッチや菜の花等のさまざまな蜜源植物を栽培し、採取したはちみつは、コクがある。特に、きれいな紫色の花を鈴なりに咲かせる「ヘアリーベッチ」のはちみつは、香りは強いがクセは少なく、上品な味わいが特徴。全国的にも珍しいはちみつだ。現在、「里山ハニー」は、小高区住民が集まる小高マルシェやパン屋、南相馬市原町の道の駅「南相馬」、そして、ECサイトで販売している。東京の知り合いに郵送することもあり、「はちみつってこんなにおいしいんだ」といううれしい口コミが県外にも徐々に広がっている。「まだまだひよっこ状態なんです」。そんな謙虚な姿勢をみせつつ、「思ったより売れている」状態にうれしそうな表情を見せる渡部さん。
住民との交流で生まれた養蜂事業
「震災前はね、地域の人たちで集まって山あいや道路の草刈りとか環境維持をしてきたんです。今は住民が少なくなってしまったり、世代が変わったりしてだんだん難しくなってきているんです。人が減っても地区の面積が狭くなるっていうことはないから。これからは、田畑も含めて土地の整備が大変な状況になっていくのは間違いないんです」。
そうした懸念を娘夫婦に相談し、会社の設立を進めた渡部さん。なぜ耕作放棄地の対策として養蜂事業を開始したのか。
「避難指示解除後、帰還した方々と集まってお茶飲みをしながら、『花を植えましょう』とか色々話をしている延長で『ミツバチを飼いましょう』って話になったんです」。意外にも住民たちとのノリでうまれたアイディアが原点だった。
「荒廃していく土地のね、対策の一環としてありかなと思ったんです。あと、昔は家庭菜園をやっていたから何かを育てるということには、興味もありました。でも正直、最初はね、置いておけば“ハチミツがいっぱい”なんて安易に思っていたんです。でも、そうではなかったです。奥が深いですね。」と笑う。
そうして未経験からスタートした養蜂では、もちろん多くのハプニングがあったという。「気づいたら半数の蜂がいなくなってたなんてこともあったんです。ど素人だったから全く知らなかった。いつの間にか女王蜂の世代交代があって、旧女王蜂が半分の蜂を連れて巣を出て行っちゃってた」。当時は顔が真っ青になったであろうトラブルを笑い話として教えてくれた。
そんな奮闘劇を経験しながら、徐々に知り合った協力者のサポートを経て、最近になってやっと販売に至るまでになったと話す。「ここまで4年かかった。やればやるほど難しいというか大変ですよ。今も年に10回くらいは刺されるしね」。
養蜂の本格シーズンは、各所で花が咲き始める春の4月から秋の10月までとされている。今年も4月に向けて準備をし、10月まで忙しい日々が予定されている。そんな忙しい合間の息抜きを聞いても、「養蜂場が家の隣にあるから週末とかもつい見に行きますね。ある意味、趣味の領域でもあります」と話し、プライベートでも養蜂の時間を過ごすほど楽しんでいる。今後は蜂の巣箱を「今の15箱から50箱ぐらいまで増やしていきたい」と事業としての拡大を目標に掲げている。
大富地区の元行政区長
渡部さんは、2016年7月の避難指示解除後、すぐに小高区に帰還した。「当初は1人で戻ってきたんです。その前も準備宿泊とかはしていたんですけど、戻ってきたら当たり前のようにあった生活音が一つもなくて不気味だったんです。以前は聞こえていた牛の鳴き声とか車が通る音とかがなくて気持ち悪かった。それは今も覚えています。真っ暗な世界にぽつんといる感じだった」。当時をそう振り返る。
渡部さんは、帰還前の2015年から2017年まで大富地区の行政副区長を担い、さらに、2017年から2020年まで行政区長を歴任し、大富地区を支えてきていた。「住所を大富に残して避難している人たちに地区の現状を伝えたり、住民の声に耳を傾けて地区の環境を整えたりしていましたね」。
現在は、当初より徐々に人が戻って来ているものの、大富地区はいまだ震災前の世帯数の3割以下だという。「以前の大富地区は70数世帯、約250名ほどで成り立っていたんです。でも今は、18世帯で3割もいかないんですよ。30歳以下なんてうちの4歳の孫1人。30代後半だとうちの娘夫婦含めて3人くらいかな。戻ってくる方が非常に少ないこの状況にも慣れてきちゃっているんです。でも将来を考えると、このままだとこの地区が成り立っていかない」。渡部さんから大富地区への愛情と「どうにかしたい」という強い気持ちが伝わってくる。
いくらでも場所は提供できる
これからは土地活用の一環で農業事業も展開予定だという。「今年からさつまいもを作付けする予定なんです。たまたま縁があって、私たちのところに農地不足の相談が農業法人からきたんです。それで約12ヘクタールの耕作放棄地で作付けすることになりました。私たちに農業の知識がないのでまずは、その農業法人にサポートしてもらいながら勉強をして、徐々に独自でやっていきましょうって進んでいます」。
ゼロから養蜂事業をスタートし、次は、農業にも挑戦するバイタリティ溢れる渡部さん。Uターンや移住者にもどんどん新しいことをしていってほしいと話す。
「小高の町中は、起業する若い人が増えて本当に素晴らしいと思います。山側の大富地区には、使っていない農地が有り余っているので、新しいことをしてみたいって方がいれば、どんどんきてほしいです。養蜂でも畜産でもやろうと思えばできるし、場所はいくらでも提供できるんです。やっていただけると非常にありがたい」。
「コロナ禍でも1km四方に何人いるんだってぐらい密がない大富地区」なんて少し自虐的な話をしながらも「現在の小高区住民は約3,800名で、内700名くらいが移住者だって聞いています。20km圏内の市町村には、移住支援っていう手厚い手当があるので新しくなにか挑戦したいっていう方にはとても役立つ。どんどんやりたいことを叶えにきてほしいです。」と新たな人材にエールを送る。
自らチャレンジし続けている渡部さんはとても心強く、頼りになる存在だ。
文…草野 菜央 撮影…アラタケンジ