小高に「hinataba」という元気な花を咲かせていく

小高に「hinataba」という元気な花を咲かせていく
hinataba 菊地直樹さん/沙奈さん

太平洋に面している南相馬市は、夏は比較的涼しく、冬は降雪が少ない、そんな穏やかな気候が特徴だ。その南部に位置する小高区で、花き農家兼花屋として、計10種類の花を栽培・販売する若き夫婦がいる。福島市出身の菊地直樹さんと矢吹町出身の沙奈さんだ。その2人に縁もゆかりもない小高区に移住したきっかけや暮らしについて伺ってきた。

小高区でハウス15棟を所有し、かすみ草やスターチス、小菊など土地の土壌や気候にあった花を年間で栽培している2人。通常の花き農家と同様に花を販売業者に卸している一方、自身でも直売やワークショップを展開している行動力のある農家だ。冬の今の時期のおすすめは、ラナンキュラス。「一輪だけでもときめくかわいさは、お客さんにもすごく人気がありますね。皆さんの表情からも好きが伝わってきます」

客との対面を大切にする2人の事業名は「hinataba(ヒナタバ)」。

再び人が集まる場所にしたいという願いを込めて、震災前に同地で営まれていた直売所「日向ぼっこ」と「花束」をイメージして名付けた。

喜んでいる姿が励みになる

2019年秋に移住してから「hinataba」は、地域に一軒しかない花屋として徐々に浸透し、願い通り、人が集まる場になりつつある。

「直接お会いできると繋がりも感じるからいいですね。卸しのみだと誰に花がいっているか正直わからない状態なんです。でも私たちは、お互いの顔が見えるやり方を少しずつ広めていっている。皆さんの喜んでいただける姿は、私たちの励みにもなります」

直売に訪れる人の中には、同じ小高区で働く同世代もいる。「ガラスブランドのiriser(イリゼ)さんとか日本酒を作っているhaccoba(ハッコウバ)さんとか皆さんからすごく刺激をもらえるんです。直接顔を合わせることで、いろんな繋がりができてすごくいい」

実はこのスタイルになったのは、新型コロナウイルスがきっかけだった。移住後、栽培の準備をし、これから都内の花屋に卸すというときに新型コロナウイルスが蔓延し始めた。当初の事業計画では卸しのみだったhinatabaは、大きな影響を受けた。緊急事態宣言による外出自粛で、卸先の花屋が休業し、価格が低下。出荷予定の花がストップになることもあった。そこで2人は市場に頼る花ビジネスのやり方に厳しさを感じたという。

それから直接花を販売する道を築いていくことを決心し、まずはECサイトやインスタグラムのデジタル面を強化。不定期ながらも直売所もスタートし、今の形になった。「最初はインスタとかSNSでひたすらお知らせしましたね。あと、小高の町中で食事や買い物をするときは、お店の方に小高で花を栽培していることを話したり。それで、少しずつ知ってもらうようになりました」

2021年1月からは、「もっと交流の機会を」と考え、きっかけづくりとしてラナンキュラスの摘み取り体験をスタートした。

「正直、集まるかなって思って恐る恐るインスタから呼びかけてみたんです。そしたら、想像以上にきてくれました」

中には、1シーズンに3〜4回も参加する方もいたという。「一回参加してくださると次は友達も連れて来てくださるんです」応援してくれるファンが増えていった。

前回の反響もあり、今年は実施前から問い合わせがきているという。しかし、今年はあいにくの寒さでまだ実施できていない。その代わり(といってはなんだが)、2月上旬にはミモザのリース作りを開催した。

「一度、小高生涯学習センターさんでかすみ草のリース作りを開いたんです。そしたら、皆さん楽しんでくださったんです。コロナ禍でそういう機会が減ってしまっているけれど、1回でも2回でも人数を調整しながらやっていけたらいいなと思いました」

リース作りも始める前は「来るかな。来るかな」と不安に感じていたという。しかし、hinatabaには根強いファンがついている。「皆さんすぐに反応してくださって埋まりました。中には初期の頃から何回も来てくださっている方もいましたね」当日は2名ずつ時間を区切って開催し、「友達っていったら年齢層は私より全然上にはなるんですけど、長時間しゃべりながら作って楽しかった」と振り返る。

他にも、マルシェの出店や他ブランドとのコラボ企画など積極的に地域交流を交わしている。「皆さん、初めて会っても初めてじゃなく感じるくらいフレンドリーでコミュニケーションしやすい」

銀行員から農家へ、そして、小高区への移住

2人が花き農家としてスタートしたのは4年前。最初の地は小高区ではなく、福島県会津地方に位置する昭和村だった。もともと、福島支店の地方銀行に勤めていた2人。直樹さんは当時から「銀行の仕事は合わない」と薄々感じていたという。そこで見つけたのが農業だ。

「僕はサッカー進学で東京農業大学に通っていたんです。授業で農業を学んではいたけれど、サッカー選手を目指していたので当時は仕事にするイメージを全く持っていなかった。でも、銀行の仕事をしながら色々探していく中で、農業に関心を持っている気持ちに気づいて、そこで彼女に話したのが始まりです」

偶然にも、沙奈さんの祖母は、昭和村で花き農家としてかすみ草を栽培していた。それがきっかけで、見学をしに2人で昭和村へ通うことになった。最初はかすみ草に「そこまで興味があったわけではなかった」そうだが、通うあいだに「おもしろいな」と思うようになったと話す。そして、2018年に花き農家として正式スタート。当時、おばあさんはすでに農家を引退していたが、昭和村は全国有数のかすみ草産地だ。周りにも生産者が多く、たくさんのことを教えてもらえたという。

しかし、昭和村は福島県でも屈指の豪雪地帯。夏は、生産量日本一を誇る地でも、冬は栽培ができない。事業を安定させるために、2人は県内で第2拠点を探すようになった。そこで候補にあがったのが、南相馬市小高区だった。比較的、気候が穏やかなこの地ではかすみ草の実証栽培が行われていたのだ。

「福島県には、農業振興普及部というのがあって、小高区でかすみ草の実証栽培をしていたんです。うまくいったデータもすでにありました。震災の影響で使われない農地が多く残っていたので、花き栽培で使ってもらえるようにと実験していたんですね」

そして、昭和村のかすみ草栽培は社員に任せ、2人は、2019年秋に小高区に移住することになった。「報道よりも意外と人が住んでいるなという印象で若い人も多かった」と移住直後に感じたギャップを話す沙奈さん。

人は少ないけれど住みやすい

今年で小高生活3年目を迎える菊地夫婦。仕事の合間の息抜きは、小高の豊かな自然に癒されることだという。

「夏は海に行ったりします。ご飯を食べながら、ゆっくりしたり。草原の中に一本だけ木が立っている『精霊の木』っていう景色が良い場所が近くにあるんですけど、すごく好きでふらっと通ったときでも見ちゃいますね」。

「小高区で不便に感じることは?」という質問には、「ドラッグストアがないところ」とすぐに回答する沙奈さん。「今は車で20分もかかるんです。一つでもいいからほしい」と続ける姿を隣で笑って聞いている直樹さん。「でもそれぐらい」だそうだ。

「小高区は人口が少ないけれど、その分、人との距離が近くて、横に繋がりやすいんです。それが住みやすいからもっと若い人にもきてほしいなと思います」

今後の事業については「今はまだ卸売が大半を占めているけれど、これからも直売やイベントの時間を増やしていきたいと思っています。もっと自分たちを知ってもらって小高や南相馬に根付いていきたい」と目標を掲げる。

これからhinatabaにどんな人が集まってくるのか楽しみだ。


文…草野 菜央 撮影…アラタケンジ