別名“紅梅山浮舟城”。
小高城跡で感じた、過去と現在、未来のつながり。

別名“紅梅山浮舟城”。<br>小高城跡で感じた、過去と現在、未来のつながり。

現在は相馬小高(そうまおだか)神社が建っている小高い丘の上に、かつて存在していた奥州相馬氏の居城・小高城。別名“紅梅山浮舟城”と呼ばれる、この城跡を訪れたのは起業型地域おこし協力隊で建築家の中川雄斗さん。「消費されない建築と地域」をテーマに活動している中川さんが、小高城跡を訪ねて感じたことをレポートします。

小高川の水に浮かぶ船のように見えた小高城

愛知県出身の中川です。今日は建築物が長く残り続けるためのヒントを見つけにきました!

みなさん、はじめまして。2024年5月に起業型地域おこし協力隊として小高に着任した中川雄斗です。一級建築士の資格を持っており、小高で課題となっている空き家や空き地に対して、活用方法の模索や改修設計、まちづくりにも関わりたいと考えています。

今回は小高城跡を案内していただけることになりました。小高城のような歴史的なものには現代に影響を与えているエッセンスや、現在まで残り続けるための“何か”があると考えています。そういった意味で、小高の街や文化を知るために小高城の歴史について知ることができるのを楽しみにしています。

神社の南側、大きな鳥居の下が今回の集合場所。

まずは集合場所へ。城跡をガイドしていただく南相馬市教育委員会文化財課の藤木さんと合流しました。

おだかる2回目の登場となる藤木さん。「準レギュラーってことでいいですか?(笑)」と場を和ませてくれました。

中川さん はじめまして。中川といいます。今日はよろしくお願いします!

藤木さん はじめまして!藤木と申します。それでは、まず神社の東側の方にぐるっと歩いて行きましょうか?

中川さん あれっ?大きな鳥居がありますが、ここから登っていくんじゃないんですか?

藤木さん おそらくここは、小高神社ができてから作られた階段だと思います。

中川さん ということは、ここが城の正面じゃないんですか?

藤木さん そうなんです。はっきりとわかっているわけではないんですが、この辺一帯は、小高川の氾濫原になっていたので、わざわざこういった場所を正面にはしないと考えられます。

中川さん 確かに目の前に小高川が流れていて、周りの土地は低くなっているんですね。

上空から見た小高城跡。(写真下側が南)

藤木さん この上空から撮影した写真を見てみてください。ちょうど小高城跡の敷地だけ、崖に囲まれた台地になって高くなっていますよね。そして、南側の先端が細く突き出たかたちになっているんです。そのため、ここに小高川の水があふれたときに、水面に浮かんでいる船のように見えたことから浮舟城と呼ばれたのではないでしょうか。

中川さん あー!それで“浮舟”!お城には紅梅が咲いていたりしたんですか?

藤木さん その通りだと思います!小高は昔から紅梅の里とも呼ばれていました。

小高川は舟運も盛んで、ここに城が築かれた理由の一つと考えられているそう。

藤木さんの説明に興味をかき立てられ、夢中で話を聞きながら小高川沿いを歩き、城の東側へ向かいます。

藤木さん 小高城は、下総(現在の千葉県北部周辺)から小高に移った相馬重胤(しげたね)の命により、重胤の次男の光胤(みつたね)が、1336年に南北朝の争乱に備えて築城した城と伝えられています。それから約270年あまりにわたって、奥州相馬氏の居城として使われました。

中川さん 日本の城と聞いてイメージするような、例えば名古屋城や大阪城みたいな大きい城ではないですよね?

藤木さん そうですね。ああいった城が出てくるのは戦国時代後期になってからですね。ただ、小高城は研究者や専門家の間では、よく知られた城なんですよ。

中川さん そうなんですか?

藤木さん 日本の城は、南北朝時代前後で大きく変化しました。当初の城は戦の際に一時的に使用するもので、居住する屋敷は別に持っていました。しかし、南北朝時代頃になると戦が増え、城に住むことが多くなったんです。

中川さん 戦に備えて、防御機能を持つ城に普段から住むようになったんですね。

藤木さん 小高城は、そういったかたちで使用されるようになった城の先駆けであり、当時のプリミティブな城跡として、とても貴重な史跡なんです。

中川さん そんなに重要な城だったんですね。ますます興味が湧いてきました!

そして藤木さんと一緒に、神社の東側にある坂の入り口に到着しました。一見、何ていうことのない普通の道です。

神社の東側にある“大手道”。相馬野馬追の野馬懸では、この坂道を騎馬武者と裸馬が駆け上がります。

藤木さん ここが城の正面である“大手”だと考えられています。神社に向かって右側の場所は池になっていますが、地形から左側も水堀だったと推定されているんです。

中川さん 確かにこの道の両側が低くなっていますね。

藤木さん 城があった頃は、小高川から水を引いていたと考えられています。

中川さん 川も含めて大きな水堀みたいな感じだったんですか?

藤木さん その通りです!水堀にして防御力を高めていたと考えられています。小高川の水を活用できる場所だったことも、ここに城を構えた理由の一つだと思います。それでは坂を上りましょう。

かつての水堀が弁天池に。
昔はもっと急な坂だったらしく、攻めるのは大変そう。

藤木さん ぜひ、敵兵になったつもりで見てみてください。

中川さん 坂の上がキュッと曲がって、先が見えなくなっていますね。

藤木さん これは食い違い虎口(こぐち)と呼ばれるもので、日本の城でよく見られる造りです。先を見えなくして、敵兵の勢いを止めるためのものです。

中川さん 確かに道の先が見えないと、何があるかわからないから恐いですよね。

藤木さん 上りながら道の左側にある林の中を見てください。土がこんもりと盛られていますよね。“土塁(どるい)”と呼ばれて、これも城への侵入を妨げる仕掛けです。

盛り上がった土地の形に当時の名残が見られる土塁。

中川さん あっ、本当ですね。こういったものがたくさん設けられていることから、こちらが正面と考えられているんですね。

藤木さん そうなんです。ちなみに頂上付近にある土塁は、今ではすっかり野馬懸の観覧席になっています(笑)。

中川さん 貴重な史跡が野馬懸の観覧席に。おもしろい活用の仕方ですね(笑)。

出土品や史跡が伝えてくれるもの

坂を上って、神社の本殿前に到着。ここは野馬懸の舞台でもあります。

藤木さんの説明を聞きながら坂を上り、神社本殿前の開けた場所に出ました。

藤木さん 小高城跡では何度か発掘調査が行われています。私も参加したことがあるのですが、今立っているこの場所も30cmほど掘っただけで、さまざまなものが見つかったりします。

中川さん 30cm!そんな浅いところから見つかるんですね。

藤木さん この発掘調査の写真を見てください。

土を掘り起こしたところに大小無数の穴が。

中川さん たくさん丸い跡がありますね。

藤木さん これは柱の跡なんです。きっと、何回もこの場所で建物を建て直した跡だと思われます。

中川さん こんなにたくさん…。小高城があった時代の建物って、“掘っ立て”だったんですか?

藤木さん 当時の建物だと、そうですね。城の本丸など重要な所には礎石を使っていたと思われます。ただ、本丸があったと考えられる本殿の発掘調査はできていないので、わかりません。

中川さん やはり、本殿の場所に本丸があったんですか?

藤木さん おそらく、そうだと思うんですが、ちょうど船の先端に見える部分からも出土品や瓦など見つかっていて、そっちが本丸の可能性もなくはありません。

中川さん なるほど。重要な場所からは出土品が多く見つかっているんですね。

藤木さん そうですね。発掘調査で見つかった出土品をいくつか持ってきたので、見てみましょう。

藤木さんは車の荷台からケースを取り出し、出土品を並べてくれました。

中川さん すごい!こんなにたくさん!

藤木さん 主に13世紀から15世紀頃にかけての出土品です。中国の青白磁(せいはくじ)や天目茶碗(てんもくぢゃわん)をはじめ、儀式の際に使用する“かわらけ”という小皿、茶道に使う土器なども見つかっています。

中川さん 中国のものも多くありますね。そういった国内外のものを持っていたということは、それだけ相馬氏に力があったということなんですか?

藤木さん そうですね。輸入物は高級ですし、風流なものも多く残っています。当時、茶道などは外交のための道具でした。相馬氏は広く外交を持つことで、激しい戦乱の世をこの小高城で生き抜いたんだと思います。

中川さん なるほど。他の地域と交わることが上手だったんですね。

国内外で作られた多種多様な磁器が見つかっています。

出土した瓦に残る装飾の金箔。

藤木さん その外交の一端がうかがえる出土品もあります。この瓦やしゃちほこには、装飾に金箔を使った跡が見られます。これは誰でもできるわけではなく、豊臣秀吉と関係がある人しかできないものなんです。

中川さん 秀吉!すごいですね!

長く残り続けるために大切な信仰の力

さまざまな資料でわかりやすく説明してくれた藤木さん。

発掘調査でわかった柱の跡や出土品から、過去と現代のつながりのリアリティを感じていると、藤木さんがさらに説明してくれました。

藤木さん ちなみに、この陶器の一部には熱を受けてできたプツプツとした気泡が残っていて、13世紀から14世紀頃に火災があったと考えられています。

そう言って藤木さんは本殿の奥にある「奥の院」まで案内してくれました。

藤木さん この辺りの土塁を発掘調査したときにも、火災の痕跡である“炭層”が見つかっているんです。小高城は一度、落城したことがあるので、その戦のものかもしれません。

中川さん へー。発掘調査でそんなことまでわかるんですね。

奥の院付近にある土塁の発掘調査の写真。

藤木さん 私は考古学のおもしろさがそこにあると思っているんです。

中川さん 考古学のおもしろさですか。

藤木さん 柱や土塁の跡、瓦や陶磁器などの出土品から、記録には残っていない歴史を辿り、当時の様子を想像するのがおもしろいんです。

中川さん それは考古学ならではのおもしろさですね。

藤木さん 中川さんはどういった観点から建築に取り組んでいるんですか。

中川さん 私は“消費されない建築と地域”をテーマにしているんです。

藤木さん “消費”とは、どういったことですか。

中川さん 消費されないものというのは、地域と人々の記憶に残り続けるもののことだと考えていて、逆に消費されるものというのは物理的に消失してしまったり、そのもの自体が“記号”に置き替わってしまうことだと考えています。

藤木さん 記号ですか。

中川さん 例えば昔、伝統的な家具などはその家の由来、家柄や歴史を示す象徴と結びつくことで、長く持ち続けられていました。しかし、近代の消費社会になってモノが象徴的な役割から解放されると、モノのデザインに象徴という絶対的なものがなくなり、他のモノとの関係の中でしかモノの意味が生まれなくなります。こうして、わかりやすく意味を生むために、記号を前提としたモノがつくられるようになっていきます。

藤木さん なるほど。

中川さん そうなると、本来そのものが持っている情報や魅力のようなものが抜け落ちて、表面的なただの記号になってしまいます。

藤木さん 記号になると、それはある意味で消費社会にとっては便利で代替可能なものになってしまいますよね。

中川さん そのおかげで資本主義が加速し、経済的に豊かになった一面もありますが、失っているものも多いんじゃないかと思うんです。それが空き家問題などにもつながっていると考えていて、私は“消費されない建築と地域”を構築していくことでそういった課題を解決していくことを目指しています。

出土品などから歴史を辿る考古学のアプローチが新鮮でした。

藤木さん 代替可能なものとは反対に、取りかえのきかない唯一性があるとしたら、この「場所」が、かつて歴代の相馬氏が乱世を生き抜いたという事実にあるのではないかと思います。その地域の歴史は、他と取りかえがきかないですよね。「消費されない」ということと、何か通じるものがありますね。今日は何かヒントになりそうなものが見つかりましたか?

中川さん はい!建築物だと骨組みや基礎など、しっかりしているものが長く残りやすいんです。それをここでいうと、小高川と地形の特徴的な関係や、大手道や土塁の作り方など地形を活かした造りになっていることが興味深かったです。

藤木さん 建築家らしい目線ですね。

中川さん あとは、やはり信仰や神秘性も大切な要素だと感じました。ここが野馬懸の舞台として、愛されていることからもわかります。

藤木さん 大悲山の石仏もそうですが、相馬氏のいわれがある場所は、地域の人々によって守られていますよね。ちなみに相馬氏は江戸時代中期の1611年になると、中村城(現在の相馬市)に居住先を移します。

中川さん やはり時代によって、城に求められることが変わったんでしょうか?

藤木さん そうですね。戦乱の世が落ち着いて人が増え、新しい機能を求めたのかもしれません。ただ居城は移りましたが、小高への想いは変わらずにあり続けたみたいです。

中川さん どういうことですか?

藤木さん この近くに同慶寺というお寺があるのですが、江戸時代以降は相馬氏の菩提寺として、代々の当主が埋葬されています。

中川さん 居城は移しても、自分たちのルーツを大切にしていたんですね。藤木さん、本日はありがとうございました!今日感じたことを、今後の取り組みに活かしていきたいと思います。

信仰と神秘性の力を感じられる場所でした。最後に感謝を込めて神社にお参りしました。

小高ならではの消費されない建築を探求したい

今回、小高城跡を巡ってみて感じたことを、自分なりにまとめてみました。まず感じたのは“場所の力”のすごさです。川の氾濫の影響が及びにくい場所に、さらに水に浮いているように見える地形に神秘性や機能性を見出して城を築き、神社が跡を引き継ぎ、信仰や野馬追を残し続けていることに驚きました。また、信仰や地形などの大きなものに寄り添いながら新しいものをつくっていくという姿勢には、何かを変えながら残り続けていくためのヒントを得ました。

今後は、そのヒントを小高で活かしていきたいと考えています。そのために大きな歴史として語られてきたものだけではなく、記号化されていない歴史や資源、民俗、風土などもリサーチして、そこで得られたものに寄り添い、新しいものと組み合わせながら、地域の未来を築く、小高ならではの消費されない建築に挑戦していきます。

中川さんが小高に構える建築設計事務所  

UYNA/中川雄斗建築設計事務所 https://uyn-a.com/