新たな時を刻み始めた「KIRA」で紡がれる、まちに希望をつくるためのストーリー。

新たな時を刻み始めた「KIRA」で紡がれる、まちに希望をつくるためのストーリー。

2024年3月、小高駅前で2015年から営業を続けてきた雑貨店「希来(きら)」がセレクトショップ「KIRA」として、お店の読み方はそのままにリニューアルオープン。小高駅前にある双葉屋旅館の4代目・小林友子さんに替わって、新たな店主となったのは腕時計の設計・デザインを行う株式会社Fukushima Watch Companyの平岡雅康さんです。今回はKIRAを訪れ、小林さんと平岡さん、そして同店のこれまでやこれからのことを伺いました。

老舗旅館の女将・小林さんは、地域のキーパーソン。

震災前は味噌や醤油を販売する商店だったというKIRAの店舗。

小高駅から50mほどの位置にあるギフトショップ「KIRA」。約束した時間の少し前にまっ白な暖簾をくぐると、やさしい笑顔の平岡さんが出迎えてくれました。2022年に埼玉県から小高に移住し、Fukushima Watch Companyを創業した平岡さん。同社が手掛けた腕時計や、福島県内各地から集めたという工芸品などを見ながら簡単にお話を伺っていると、すぐに小林さんもいらっしゃり、店頭で取材を始めることに。まずは二人の経歴について聞きました。

——小林さんはこの後、すぐ予定があるということで、早速ですがお話を伺いたいと思います。

小林さん ああ、大丈夫ですよ!本当は今日、名古屋行く予定だったんだけど、明日にずらしたから!

——ええ!すみません!

小林さん 全然、大丈夫!

そう快活に答える小林さんは双葉屋旅館の4代目女将。一時期小高を離れていたものの、実家である旅館を継ぐために2005年、約30年ぶりに地元へ。以降、宿泊施設の少ない小高でさまざまな人たちをもてなしてきました。また、小高が避難解除される前から小高駅前に花を植える活動を始めたり、まちづくりに携わったり、平岡さんによると「この辺りで友子さん(小林さん)を知らない人はいない」という地域のキーパーソンの一人。2016年の避難指示解除後は、いち早く双葉屋旅館の営業を再開しました。

KIRAの店内にはFukushima Watch Companyの腕時計をはじめ、小高や福島県内各地の工芸品、雑貨などが100点以上並びます。

——元々、このお店(KIRA)は小林さんがつくられたと聞きました。

小林さん そうですね。最初は英語表記じゃなくて、漢字で「希来」。このまちに「希望が来るように」ということで名付けました。

——「希望が来る」で「希来」。初めは漢字だったんですね。

小林さん ここも名前はそのままKIRAにしてもらったけど、最近は変えた方よかったかなとも思ってて(笑)。前の店とダブっちゃうし……。

平岡さん いやいや、そのまま名前を使わせてもらってよかったと思ってますよ!地域の人は、一発で場所もわかりますし。

——希来のオープンは2015年と聞いているんですが、旅館を再開する1年前にオープンしたんですね。

小林さん 当時、避難指示解除に向けて、片付けなどで小高に帰って来る人が多かったんですよ。ただ、みんな誰がどこにいるかの情報もないので、そういった情報交換ができる場所も必要だと思ってね。

——情報交換の場として。

小林さん あとは、まちなかのお店がなくなって休憩できる場所もなかったので、座ってお茶を飲んでひと息つける空間にしたかったんです。

——そういった場所があると、心が休まりますよね。

小林さん その後、近くに復興住宅ができて、そこの人たちがたまにここで交流したり、お茶をしたり。あとは地域の外からボランティアに来た人がお土産を買ってくれたりするようになって。もともと父の代ではお茶店だったこともあって、2021年に花とお茶の店「KIRA」にリニューアルしました。

——まちの変化とともに、店も変化していったんですね。

小林さん そうですね。その最初に考えていた役割はもう全うできたかなと思って、平岡さんに託すことにしました。

「私の福島愛がすごいんです」(平岡さん)と新しいKIRAに福島県外のものは置かない方針。

平岡さんは復興イベントの花火をきっかけに小高へ。

二人の腕には売上の一部がウクライナへの寄附にあてられるFukushima Watch Companyの「SAVE UKRAINE WATCH」が。

——平岡さんと小林さんが初めて出会ったのはいつ頃ですか?

平岡さん 私は趣味で花火師をしていて。2020年の12月に小高で花火大会を開催したのですが、その打ち合わせや調査のために同年の夏に初めてこの地域を訪れた時ですね。

——花火大会ですか?

平岡さん はい。震災後はボランティアで花火を被災地で打ち上げるイベントもやっていました。2020年はコロナ禍で相次いで花火大会が中止になって花火が余ってしまい、打ち上げる場所を探していたんです。そこでそのイベントで知り合った南相馬市の商工会の方に小高を紹介してもらいました。

——小林さんはその時のことを覚えてますか?

小林さん その時、うち(双葉屋旅館)に泊まったんだよね。「普段は何してるの?」って聞いたら、「時計を作ってる」と。それで実際に時計を見せてもらって、うちのお父さんなんか2本も買ったよね(笑)。

平岡さん すぐ受け入れてくれた感じがうれしかったですね。友子さんには花火大会の開催のために、地域内のさまざまな人も紹介してもらいました。

小林さん やっぱり何でも一番大切なのは、人と人のつながりだからね。一人でもいい人を紹介できれば、そこからどんどんつながっていくだろうし。

——小林さんが橋渡し役だったんですね。

小林さん 平岡さんから花火の話を初めて聞いた時に「本当にここでやりたいんだな」という気持ちが感じられたし、本人がきちんと動いているのを見て応援したいと思って。

平岡さん おかげさまで無事に花火を打ち上げられました。

小林さん 花火大会の日だけ、雨が降ってたんだよね。すごく寒くて、みんな震えててね(笑)。でも、すごくきれいだった。

平岡さんは小林さんの印象について「母と同じくらいの年齢なのに、すごくパワフル(笑)」と語りました。

冗談を交えながらのやり取りの節々から、お互いへの信頼が感じ取れる二人。インタビューをしていると、徐々にお客さんが増え始めたので、お邪魔にならないように双葉屋旅館へ場所を移すことにしました。

昔ながらの風景が残り続けている“奇跡”。

KIRAに隣接する双葉屋旅館。小高の変化を駅前で見守り続けています。

現在、平岡さんは双葉屋旅館に住んでいるそう。取材に同行した小高在住のスタッフは「以前、平岡さんに『どこに住んでるの?』って聞いたら、『双葉屋旅館に住んでいます』って言うから、『えっ!あそこ住めるの?』って驚きました」と話しました。

平岡さん 移住したいと友子さんに相談した時に「とりあえずうちに住んでいいから」と言っていただいたので、その言葉通りに(笑)。

小林さん 移住の支援金とか移住促進住宅とか紹介したから、すぐに家を見つけると思ってたのね。だから、「ちょっとの間なら」なんて冷たく言ってたの(笑)。

——そこから気付いたら、2年近く(笑)。

小林さん もちろん、ここに住んだ人なんていないしね。しかも、「ご飯作れない」なんていうから「じゃあ、平岡さんは朝起きるの遅いから、夕食だけ作るね」って。

平岡さん 何から何まで、本当に甘えてしまっています(笑)。

——やさしいですね(笑)。でも、毎晩食事を一緒にすると地域のことなども聞けますよね。

平岡さん とてもありがたいですね。私は震災後の小高しか知らないので、震災前のことも一つ一つ教えてもらっています。

腕時計の魅力について「この小さな中に100点を超えるパーツが精密に組み立てられ、正確なリズムを刻むことにロマンを感じます」と平岡さん。

——初めて小高に来たのが、2020年の夏頃とおっしゃっていましたが、その時の印象はどうでしたか?

平岡さん 最初に来た時は、正直ショックでしたね。

——ショック?

平岡さん それまで東北の被災地を回って、隣の原町までは来たことがあったんです。なので、小高も訪れるまでは、原町と同じ状況かと思っていました。

——それまで訪れた被災地は小高よりも復興が進んでいる地域だったんですね。

平岡さん 小高に来てみて、震災から10年近くになるのに、まだ帰還や復興が遅れている地域があるんだと。被災地のことを知った気になっていた自分に憤りを覚えました。

——そこから花火大会を経て、2022年には小高に移住することになりますが、その流れを教えてください。

平岡さん 花火大会が終わってからも何度か小高に遊びに来ていて。友子さんに案内してもらっているうちに、次第にまちに興味を持つようになったんです。

——どのあたりに興味を持ちましたか?

平岡さん 私はずっと腕時計の営業やバイヤーをしていたので、本場のヨーロッパに行くことも多かったんですが、小高の空気感がフランスやイタリアの田舎町に似ているなと感じたんです。

——それはどこらへんに感じられました?

平岡さん ただただ海が広がっていたり、山には畑が広がっていたり。昔ながらの風景が残っているなと。むやみに新しい建物をつくる箱物行政みたいなものもなくて、開発されていないことが奇跡だと思いました。

——ずっと残り続けられたのが奇跡と。

平岡さん そうですね。それが小高に惹かれて移住を決めた一番の理由ですね。それで2021年に埼玉の時計店を閉めたり環境を整えて、2022年に小高へ移住してきました。

平岡さんの“本気”を感じて「応援しようと決めた」と小林さん。

ものづくりの記憶があるまちで、世界に誇る腕時計を。

両腕に時計をする平岡さん。「自分の腕を宣伝のために使っています。将来はもっと増えるかも(笑)」

——平岡さんは元々、移住したいと思っていたんですか?

平岡さん いえ。被災地を回っていて、何もなくなってしまった地域を目の当たりにした時に、復興のためには仕事が必要だなと感じて。東北に時計産業を築けないかなと思い始めました。

——時計産業ですか?

平岡さん はい。たとえばスイスのジュネーブには600社以上の時計メーカーがあって、毎年、どんどん時計のベンチャー企業が生まれているんですよ。

——そんなにたくさん!

平岡さん そこには新しいメーカーが次々と生まれる環境があって、時計づくりの歴史が長い分、パーツを製造する下請け工場がそろっているんです。それを東北でも実現できれば、地域の未来も変わるんじゃないかと。

——その場所が小高で。

平岡さん そうですね。時計を作りたいという人が小高に移り住んで、小高から世界へオリジナリティのある腕時計がたくさん発信されていくという流れを実現できれば理想ですね。

小林さん 意外と昔の小高には精密機械の下請け工場が多かったんですよ。

——そうなんですか?

小林さん 小高は昔から機織りのまちだったのよ。その機械の部品を作っていた会社も多くて。

——ものづくりのまちとしての歴史があったんですね。

平岡さん ちなみに私は移住するずっと前から養蚕にも興味があって、自分でも小高で一昨年から挑戦してるんですけど、このまちに養蚕やものづくりの文化があったということを知って「何かに導かれてるな」って思っています。

平岡さんに話を伺っていると、どこからか小高の古地図を持ってきた小林さん。「ここがうちで、ここが下駄屋さんでしょ。で、ここの工場が……」。そんな小林さんの説明を聞きながら地図をのぞき込む平岡さんの姿に、地域の記憶が受け継がれる、かけがえのないシーンを目の当たりにすることができました。

「この地図を見ると絹産業があったことがわかりますね」と平岡さん。

——小林さんはこうやって若い人をサポートしたり、ご自身も大変な時に希来をオープンしたり、まちのために活動していますが、それはどんな想いが原動力ですか?

小林さん だって、昔から残っているものをなくすのはもったいないじゃない。何でもすぐ新しくしようとするけど、地域の歴史や文化は後からつくれるものじゃないし、ほかには真似できない個性や魅力でもあるから。

——もったいない。確かにそうですよね。

小林さん 私が旅館業未経験で実家を継いだのもそうだし、やっぱり地域の人の記憶が残っているものを守っていかないと。だから新しいKIRAも、いろいろな人たちが集まって地域の昔のことやこれからのことを楽しく話せるような店になってほしいなって。

——なるほど。ちなみに平岡さんは移住当初から、店舗を持ちたいと思っていたんですか?

平岡さん 最初は特に考えていなくて、時計をオンライン販売していたんですが「実物を見たい」という声が多かったので、実店舗が必要だと考えるようになりました。そこで友子さんに手伝ってもらって、空き店舗などを見て回ったのですが、あまりピンとくる物件がなく……。

小林さん いい条件の所がなかったから「じゃあ、うちの店舗使っていいよ」と。

平岡さん 駅前だし、福島のいろいろなものを扱って、お土産も買えるかたちにできればこれまで小高になかった役割も果たせるなと思いました。

——KIRAをどういうお店にしていきたいですか?

平岡さん 地域外の人にこの店やまちにどういうストーリーがあるのかといったことを話したり、以前から店に馴染みのある地元の人が気軽に立ち寄れたり、そういう空間にしていきたいですね。

小高の風土にインスピレーションを受けて、平岡さんが作った腕時計のコレクション「ODAKA」。

小高の風土にインスピレーションを受けて、平岡さんが作った腕時計のコレクション「ODAKA」。

——最後にお二人のこれからやりたいことや目標を教えてください。

小林さん 私はあと何年できるかわからないけど、平岡さんみたいに小高に真剣に向き合ってくれる人たちを応援しよう、支えようって思っています。そういう人がいると、まちにやる気のある人が集まってくるからね。

平岡さん ありがとうございます。まずは今の店が“福島”をテーマにしているので、福島のものづくりのクオリティを上げていく役割を果たしたいと思っていて。「あの店に置いてもらうために、いいものを作ろう」とKIRAがあることによって、新しいものが次々と生まれるような魅力的な店にしていきたいです。

小林さん まあ、うれしい(笑)。

平岡さん あと、大きな野望として、いつか絹織物を復活させたいですね。小高が歴史や伝統の価値に改めて目を向けるきっかけとなるようなまちにしたいです。

店名や建物だけではなく、小林さんの意志や店のストーリーも受け継いだ平岡さん。社名のFukushima Watch Companyの「Watch」には「時計」という意味のほかに、「福島に目を向けてほしい」という想いも込めているそう。平岡さんと小林さんは地域に紡がれてきたこれまでの記憶を大切に見つめ直し、守ることで、福島や小高の希望ある未来を見据え、そこに向って歩みはじめています。