祝!創業10周年。
OWBが見つめる、小高のこれまでと、これから。

2014年の創業以来、小高の復興に向けた旗振り役として、地域にさまざまな可能性を生み出してきたOWB株式会社(旧 株式会社小高ワーカーズベース)が、昨年10周年を迎えました。今回は同社で働く2人の視点から、小高の変化やOWBがこれからの10年で実現したいことなどについて語り合ってもらいました。
先が見通せなかったまちで、前例がない新規創業。
地域内外の起業家が集まる宿泊所付きコワーキングスペース「小高パイオニアヴィレッジ(以下、OPV)」や起業型地域おこし協力隊「Next Commons Lab南相馬」の運営※、ハンドメイドガラスブランド「iriser」の運営をはじめ、地域を活性化する多彩な事業を展開しているOWB。
※NCL南相馬…Next Commons Lab南相馬。それぞれのメンバーが地域課題や資源に焦点をあてたプロジェクトを推進する、南相馬市の起業型地域おこし協力隊事業。
同社が「小高ワーカーズベース」として創業したのは2014年5月。それは原発事故による避難指示の解除時期も見通せない中、前例のない新規創業でした。しかし、代表取締役の和田智行さんのもと、「地域の100の課題から100のビジネスを創出する」というミッションと、「自立した地域社会を実現する」というビジョンを掲げて活動。2024年に10周年を迎え、会社名をOWB株式会社に変更、ロゴも刷新しました。
今回は同社のゼネラルマネージャー半谷惠美子さんと広報担当の中村美鈴さんにお話を伺いました。

——本日はよろしくお願いします!まずは簡単に自己紹介とそれぞれのお仕事内容について教えてください。
半谷さん 小高出身で2017年にOWB(当時:小高ワーカーズベース)に入社しました。小さな会社なので、入社当時から”何でも屋”的なところがあって。これまでOPVやNARU※1の立ち上げ、ガラス事業のマネジメントなどを担ってきました。現在は社内の人事労務の他、Next Commons Lab南相馬の事務局として、起業家の採用や活動支援を行うのが主な業務です。
※1 NARU…ハンドメイド作品の販売やシェアショップなどもある、南相馬市原町区にあるコワーキングスペース。
中村さん 私は神奈川県の葉山町出身で…。
半谷さん いい所だよね〜!
中村さん ありがとうございます!現在は通信制大学の3年生として学びながら、2023年にOWBに入社しました。OPVやNARUの運営にも入りながら、主に広報担当として、会社の活動やイベントの情報などを、SNSや様々なメディアを通じて発信しています。

“地元の小高”と、“憧れの小高”。

——お二人の入社経緯を聞かせてください。
半谷さん 私は2017年に東京からUターンして入社しました。自分を育ててくれた小高が好きで、震災前から「いずれは」と思っていたのですが、震災が起きて「私、なんで東京で働いているんだっけ?」と思うようになって。和田も含め東北でがんばっている人たちがたくさんいることは知っていたので、私も現地でそういう方たちのお手伝いができたらと思い、避難指示解除後Uターンすることを決めました。
——OWBの存在は知っていたんですね。
半谷さん 代表の和田は中学時代の吹奏楽部の後輩なんですよ(笑)!本当はUターン後は、別の所で働く予定だったんです。働きながら、仕事以外で小高のことに携わっていけたらと。
中村さん へー!そうだったんですね。
半谷さん ただ、現実的に仕事とは別に活動できる体力が残るか考えると、年齢的には難しくなるだろうなぁと。でも今小高のことに関わらないときっと後悔すると思ったので、とても悩んだ末にOWBに入社することを決めました。
——故郷への思いが入社の一番の理由だったんですね。中村さんは小高との接点から教えてもらえますか?
中村さん はい。2021年の高校3年生の頃、新型コロナの影響で多くの活動に制限がかかり、家と学校を往復する毎日に飽き飽きしていて。そんなときに、OWBが主催している「NA→SAプロジェクト」を知って、息抜き感覚で参加することにしました。
半谷さん NA→SAプロジェクトは29歳以下を対象に、オンラインで講義をしたり、小高でプログラムに取り組んでもらったりして、地域の課題解決をする起業支援と人材育成を目指すプロジェクトです。
中村さん そのオンラインの講義に和田さんが登壇していて、「自分がファーストペンギンになれ」という言葉がめちゃくちゃ刺さったんです。
——どんな内容だったんですか?
中村さん 詳細は覚えてないんですけど(笑)。印象に残っているのは「小さくても動き出せば、みんなついてきてくれる。大きく物事を変えられる」といった内容で。そんな人がいる小高は、さぞかしすごいんだろうと憧れのまちになりました。

——小高が憧れのまちに。
中村さん その後、実際に小高を訪れてみて、和田さんをはじめ、いろんな人の話を聞いてみて、みんな温かいし、いつか自分も社会人として経験を積んでから小高で起業したいなと思うようになりました。
——でも、その後ここで働き出すことになるんですよね。
中村さん そうですね。それで一旦、地元で大学受験を迎えたものの精神面で崩れ、秋に通信制の大学に進学しましたが、やっぱり家にいるのがつまらなくなってきて。その時にたまたまOWBが小高駅の駅舎の管理人を募集しているのを見て、和田さんに相談したら「こっちに来るか?」と。それで「行きます!」って即答しました。
半谷さん それまで担当していた人が対応できなくなって、その替わりの人が必要になったんです。それではじめは3か月の業務委託のかたちで来てもらいました。アグレッシブで元気な女の子が来たなーという印象でしたね(笑)。
中村さん 「あー、もう来ちゃった!」と思っていました。本当は20代後半くらいに小高で起業したかったのですが「10年早く人生進めちゃった!」と。
——実際に小高で生活することになって、どうでしたか?
中村さん すごく楽しかったです!自分の人生のハンドルを、ちゃんと自分で握れている気がして、和田さんの言葉を実感できました。
半谷さん 駅舎の管理人の後は、当時はコワーキングスペースで、現在はシェアショップになっている原町区の「NARU」の現場責任者として働いてもらったり、なかなか大変だったと思うけど。
中村さん 社会人経験もなかったのでドキドキしながらでしたが、本当に充実しています。今も、ずっとやってみたかった広報担当にしてもらえて、すごくやりがいがあって感謝してます!
OWBで思い描く、10年後のまちの姿。

——OWBは昨年、10周年を迎えられましたが、長年、会社で活動してきた半谷さんはその実感みたいなものはありましたか?
半谷さん うーん、どうだろう。10周年に向けての企画で過去を振り返ったり、今後のビジョンを見直したりする中で、少しずつ実感が湧いてきた感覚ですかね。
——社名も変更しましたよね?
半谷さん そうですね。はじめは震災後の小高をベースとした会社でした。ただ、これからの10年を考えるにあたり、これまで私たちがやってきた活動が、他の地域にも広く役立てられたらと思っていて、小高ワーカーズベースの想いは継承しながら地名をあえて外しました。
——小高ワーカーズベースの頭文字「OWB」を残したんですね。中村さんはどうですか?
中村さん 私は広報担当として、これまでのことを調べたりして、「この会社、めっちゃ成長してる」って感じましたよ!
——どのあたりに、それは感じました?
中村さん 拠点を拡大したり、自社ブランドを持ったり、ここをきっかけに移住して起業する人が出てきたり。特に今回、これまでOWBで受け入れたインターン生の同窓会を企画したのですが、数えたら60人もいて!
半谷さん そうだね。初期のインターン生は、当時大学生だった子が立派な社会人になっていたりするので、企画している中で時間の経過や10年の積み重ねを感じたかも。ここに関わった人にとって記憶に残る場所であってほしいし、帰ってきてくれる姿を見て、みんなの人生にとって少しでも意味のある場所になっていたら嬉しいなと思いますね。
——ちなみに中村さんは大学卒業後もこのままOWBで働く予定ですか?
中村さん 実はとても迷っていて…。元々、就活に対して強い思いは持っていなかったのですが、「新卒」でもあるので同級生たちを見て、自分も少しだけ動いていました。私が働く上で大切にしている「まずは自分たちが楽しめる環境」「地域に貢献できること」がかけ算で叶えられる職場も、見つけてはあります。ただ、今の環境が面白い・成長できると思えている間はここにまだ残っていたい気持ちも大きいんです。
半谷さん もちろん残ってくれればうれしいけど、別な場所で経験を積むことも本人にとってはいいことだと思っています。それによって視野も広がるし、その上でまた小高でやりたいことができたら戻ってきて、小高に還元してくれたら。
中村さん ありがとうございます。ここでの暮らしも仕事もとても充実しているので、もう少し迷いたいと思います!(笑)

——OWBが誕生してからの10年は小高にとっても変化が大きい時間だったと思います。小高出身の半谷さんの目から見て、どう感じていますか?
半谷さん 震災前は、駅前の商店街には肉屋さんや魚屋さんなどのお店がたくさんありました。まちから少し離れたところにも人気のケーキ屋さんやフレンチ、酒屋さんなど個性豊かなお店があって。震災後にその姿がなくなってしまって、すごくさびしかったんです。
——いろんなお店があって、いろんな人がいたんですね。
半谷さん ただ時間をかけながら、この地域を面白がってくれて、いろんなことに挑戦する人が住むようになり、その輪が広がって、地域がまた盛り上がりを見せてきて…。とても小高らしいなと思っています。震災後に知ったんですが、小高って商業のまちだった歴史があるみたいなんですよね。なので、何かに挑戦したり、自分たちでつくっていくような風土があるのかもしれません。
中村さん 小高に個性的な人が多かったり、挑戦しやすい空気があるのは住んでいると実感しますね。
半谷さん OPVのような場所ができたのが大きいのかもしれないですね。まず小高に興味を持った人が訪れる拠点になるし、若い人たちが挑戦してる姿が目に見えてわかりやすいので、それを応援してくれる人も出てきてくれるし。
中村さん 確かに拠点があるとアクションが起こしやすいですよね。
半谷さん そうだね。ただ、OWBだけではやっぱり難しい。地域内外の多くの方のご協力があってこその10年だったと思っています。たくさんの方に協力していただきながら、地域の方も移住してきた方もやりたいことに挑戦できる。この10年で、そんな風土が積み上がってきたように思います。
——なるほど。それでは次の10年で小高に対してOWBとして実現したいことはありますか?
半谷さん 小高に対しては、少しずつ変化はしているものの、まだまだこれからという想いもあります。引き続き、まちのみなさんと持続的な地域をつくって行けたらと思います。その上で、これまでたくさんの方にご支援いただけたご恩を、広く社会に還元できる会社になっていけたらと思っています。
中村さん 私は広報担当として、小高の女性たちの活躍も発信していきたいですね。
半谷さん いいね!
中村さん 地方だと、どうしても男性の力が大きい現実があると思うんです。でも小高は何かに挑戦したり、いきいきと活動してる女性の方が多くて。
半谷さん OWBも女性の方が多いしね。
中村さん そういった一人一人の姿をロールモデルとして発信して、より意欲のある女性が小高と関わるようにしたいです。私自身も今後どうなるかはわかりませんが、その一人になれたらうれしいです。
半谷さん 個人としては、もっと地域の人同士が交われる機会をつくりたいなと思っています。世代を超えたつながりが生まれ、多様な価値観が交わる。そんな暮らしの循環を促すことで、歴史や文化、挑戦の風土を次の世代につないでいけたらいいですね。

—–10周年を迎えて、新しくなったOWBのロゴにはブランクになっているボックスがありますよね。ここはそれぞれが実現したいことを入れていくためのスペースだと聞いたのですが、お二人だったらどんな言葉を入れますか?
半谷さん 私はみんなが笑って暮らせる“世界平和”が、すべてのベースにあるので「世界平和」や「みんなが笑って暮らせる社会」かな。
中村さん 私だったら…「自分らしさ」か「楽しめる環境」ですかね。どちらも「周りのため」という意識になりすぎず、自分自身が責任と希望を持って前向きに暮らすことで、その楽しさや充足感を地域全体で感じられるように、活動していきたいです。
——お二人とも本日は貴重なお話をありがとうございました!
今回は10周年を迎えたOWBで働く2人の視点から、小高のこれまでとこれからについて語ってもらいました。その中で見えてきたのは、地域の人たちによって紡がれてきた魅力が、OWBや小高に集うさまざまな人たちの手によって、より大きく多様なアプローチで育まれている姿でした。10年後、小高はどんなまちになっているでしょう?きっと今は想像もできない新しいものが生まれているはずです。そんな未来に向かって、OWBや地域の人たちの挑戦は続いていきます。