“小高ではいい人のところに、いい人が集まる”。おだか愛あふれる、谷地さんのお話。
小高区で鮮魚店を営んでいる谷地茂一さんは、避難指示解除後、いち早くお店を再開したということもあって、震災や復興に関する話で多くのメディアに出演してきました。しかし、その中では茂一さんの個性的なキャラクターは、なかなか伝わり切れていません。そこで今回はその魅力的すぎる人柄をみなさんに知っていただこうと、奥様の美智子さんとともにお話を伺いました。
小高一筋75年。魚屋一筋 50年。
店が休日の午後、約束した時間に店舗が併設されたご自宅のインターホンを鳴らすも、何の反応もなし。(これは嫌な予感)。そう思っていると、ガラガラッと引き戸を開ける音が。
「いやー、ごめん!忘れてた!」。そこには屈託なく笑う茂一さん。「あがって、あがって!」。取材チームをご自宅へ招き入れてくれました。
——今日はよろしくお願いします!
茂一さん 俺、滑舌悪いど!大丈夫か!?
——全然、大丈夫です!
茂一さん これ、今年人生で初めてつくった名刺。
——ありがとうございます!かわいい名刺ですね。
茂一さん デザイナーの西山さんが小高に移住してくれたからよ。何か役に立ちたいと思ってさ。渡し方もわかんねえから、ババ抜きしてるみてえだ。
挨拶の段階から、『冗談』と『おだか愛』の話がとまらない茂一さん。美智子さんは近所に外出中とのことで、その間、茂一さんに店の経歴などを伺うことにしました。
「谷地魚店」は、小高に2軒ある鮮魚店のうちの1軒です。茂一さんのおじいさんが初代で戦前から行商をはじめ、2代目となるお父さんが1951年に店舗を構えました。3代目となる茂一さんは小高で生まれ育ち、高校卒業後、東京の専門学校から隣の浪江町にあったスーパーへ。鮮魚部門で3年間働き、この店に戻ってきたそうです。
茂一さん あそこに写真あっぺ。あのおじいさんが大変な人でさ。行商先で、お酒すすめられると飲んじゃってよ。ヘロヘロになって、自転車その辺にほっぽりだして帰ってくんだ。
——豪快な人ですね。
茂一さん 金儲けはうまかったんだけどね。逆に父ちゃんはマジメな人で、母ちゃんがきついこと言っても『ハイハイ』って。んで、この場所に店つくったんだ。
——昔はもっと魚屋があったんですか?
茂一さん 昭和40年(1965年)頃には行商の人も含めると20軒はあったな。小高は“魚喰い”が多い町なんだ。
——海が近いですしね。
茂一さん 初代の頃は汽車で仕入れしてたんだけど、小高駅に着いた途端、客に囲まれて、売り切れちゃって。そのままトンボ返りで仕入れに行ったりしてたな。
——魚屋がそれだけ大切な存在だったということですよね。店を継ぐことは子どもの頃から決まってたんですか?
茂一さん んだ。それは長男だったから。決まっていることとして、何も考えなかった。つーか、今も何も考えてねえ。
——いやいやいや。
茂一さん だって、店も赤字だしよ。俺、“魚スケベ”でさ。魚見っと、どうしてもほしくて手出ちゃうんだ!
そんなやりとりをしていると、美智子さんがバケツいっぱいの栗を持って帰ってきました。近所の方と栗拾いをしてきたそうです。
美智子さん いやー、楽しかった!
茂一さん ほら!うちの専務“取縛り”役が帰ってきた。
美智子さん 何言ってんの、縛ってんのどっちだ。まだ話、終わんないの?一回休憩にしな。
そう言って美智子さんは、コーヒーを淹れ、少し前に手作りしたという栗きんとんをすすめてくれました。
お客さんを自宅にあげる(こともある)、シンプルな理由。
今回、お伺いしたかった話の一つが、遠方からのお客さんを、自宅に上げ購入した魚とともにごはんを出すこともあるというエピソードです。
——その話って本当ですか?
美智子さん いつもじゃないよ!たま~にね。この人(茂一さん)に、その権限あっから。
美智子さん 震災前はね、仕出し料理もやってて、そんな余裕もなかったから。
——昔から人をもてなしたりするのは好きだったんですか?
茂一さん 初代も酒好きって言ったけど、ばばちゃんもかなり酒好きで。よく、誰かに誘われて飲みに出掛けて。
——おばあさまも。
茂一さん その時からよく言われてたのは「タダ酒は飲むなよ!」って。「コップ一杯でも何か飲ませてもらったら、サンマ1本でも豆腐一つでもいいからお返ししなきゃいけないよ」と。
——「タダ酒は飲むな」。律儀な人だったんですね。
さらにお二人は静岡から訪れた女性ライダーや三重県から訪れた家族の話など、これまでに訪れたお客さんとのやり取りを次々と披露してくれました。
——話の内容から出身地まで、よく覚えてますね。
茂一さん あの人(美智子さん)は顔覚えるの得意なの。俺はきれいな人しか覚えらんねぇんだけどよ。
美智子さん 1回だけ店に来たお客さんが、数カ月後に来た時も「あれ?あの時の人だよね?」って言ったら「えっ!覚えてるんですか?」って驚いてたな。
——(顔を覚えるのが得意なだけじゃなく、きっと心からコミュニケーションを楽しんでいるから詳細まで覚えているのでは?)
そんなことを思っている間も、茂一さんは話し続けます。
茂一さん ある日、刺身を買った人の車が県外ナンバーだったからよ。「どこで食うんだ?」って聞いたら、「車で食べます」っていうから。「何もここで食ってけばいいべ!」って。
——お客さんもびっくりですね!
茂一さん 「え!初めて来たんですよ?」っていうから、「かまねぇ!」って食わせたんだ。
——その方たちもうれしかっただろうなあ。
茂一さん そしたら1カ月くらいに宅配便で高級なお菓子が届いてよ。宛名見てもわからないから、「俺、そんな人知らね!」って受け取り拒否したのさ。そしたら配達員の兄ちゃんも困っちゃってよ。
——ですよね。どうしたんですか?
茂一さん その場で電話かけてみたら、「1カ月前にお店でごちそうになった者です」って。
——あの時のお客さんだったんですね。
茂一さん 「お父さん、お母さん、これからもがんばってください!」なんて言われてよ。うれしかったね。
しみじみと振り返る茂一さん。「こんなのもあんだ。うちで何か食べた人に書いてもらってる」。そういって渡されたノートを開くと『魚屋の宿帳。』の文字。宿帳がある魚屋なんて、世界でもここだけではないでしょうか。
谷地さん夫妻のこれからのこと。
「これ見て。昨日、寝る前、生まれて初めて短歌つくってみたの」。取材の途中、茂一さんは突然、チラシの裏紙に書いた短歌を見せてくれました。取材の数日前は、中秋の名月。小高からもきれいな満月が見えていました。
『ホロ酔いで 妻と二人で夜デート 月を見上げて ちょっとくちづけ』
——甘い!ロマンチック!
美智子さん こんな顔して!
茂一さん 二人で小高の店で酒飲んで、店出たらきれいな満月だったんだ。
——素敵ですね!
茂一さん 素敵っていうか仕事も一人じゃできねえし、飯食う時、誰か一緒にいた方がいいべ。
カメラや読書、図画など、実は多趣味な茂一さん。映画もその一つで、これまでにスクリーンで見た作品は1400本以上になるそうです。
茂一さん 小高には昔、映画館が2つあったんだよ。
——そうなんですね。
茂一さん よく行ってた隣町の浪江の映画館には、原発のためにアメリカからいっぱい技師が来ててよ。その頃、洋画はスクリーンの右端に日本語の字幕が出てるから、日本人は左側に座って。
——みんな字幕が見やすい方に寄っていたんですね。
茂一さん そう。で、おもしろいセリフがあると先にアメリカ人が笑って、そのあと字幕を読んでからワンテンポ遅れて日本人が笑ってよ。笑い声が二つもあって、にぎやかだったな。
——好きな映画は何ですか?
茂一さん 初任給が出た時、その映画館で見た『めぐり逢い』だな。あれがきっかけで映画にはまったんだ。
『めぐり逢い』は1957年に公開された洋画。運命的な恋に落ちた男女がすれ違いながら、長い時代の移ろいの中でも愛情を抱き続けるというラブストーリーです。
茂一さん あれ、ハッピーエンドで好きなんだよ。
現在、75歳の茂一さん。店のことを伺っていると、これからのことについて明かしてくれました。
茂一さん あと、3年経って78歳になったら、もう辞めようと思っててさ。
——えっ!まだまだ、お元気そうですが。
茂一さん 店を構えてちょうど75年だし、魚も獲れなくなってきてるしよ。
——正直さびしさを感じますが、その後は、やりたいこととかあるんですか?
茂一さん 全国のいろんな祭を見に歩きたいんだよね。仕事が忙しくて、旅行もあんまり行けなかったから。雲雀ヶ原(※)で野馬追を見たこともねえんだ。
※南相馬市原町区にある「雲雀ヶ原祭場地」は、毎年夏に行われる相馬野馬追のメイン会場。人馬一体となり疾走する甲冑競馬と、数百騎の騎馬武者が旗を巡って駆け出す迫力満点の神旗争奪戦が開催される。
おだかるの記事では、野馬追の最終日に小高神社で行われる神事・野馬懸に登場する御小人を取材しました。ぜひ併せてご覧ください。
美智子さん たまに近場とかは行くんだけどね。足が動くうちにいろんな所、行きたいね。
茂一さんのお話を伺っていると、その人柄が人生の中で出会った小高の人、言葉、風景などから形成されているように思え、本人にそのことを尋ねてみました。
——小高での豊かな時間が、茂一さんの人柄を形成しているように思えます。
茂一さん んだな。
——茂一さんにとって、小高の一番の魅力は何ですか。
茂一さん やっぱり、人柄だな!「いい人の所には、いい人が集まる」っていうよな。ほんと、それだ。
——なるほど。
茂一さん 小高ワーカーズベースとかできてよ。若い人が駅からガラガラ引っ張って来るべ。その姿見てるだけでも、うれしくなるし、感謝だな。力になってやりてえって思うな。
気付くと、取材から1時間以上が経っていました。「何か食うか?」。茂一さんはそう言って店の調理場へ。すぐに気仙沼産のカツオをさばいてくれました。美しく角が立ち、厚く切られた新鮮な刺身は絶品でした。
——すごい厚さですね。
茂一さん 昔から、こうやって厚く切るからよ。仕出ししてた旅館の女将からは「もっと薄く、小さくした方が上品に見えるのに」って、よく言われたんだけども。
——変えなかったんですね。
茂一さん 『俺、下品なこと好きだから!』って。
——さすがです(笑)。今度、またお魚買いに来ますね!
美智子さん 別に買わなくていいから、遊びにおいで!
最後まで冗談を忘れない茂一さんと、やさしい笑顔の美智子さん。ご夫妻こそが“魚屋”の存在を超え、人を集め、周囲や地域を元気にする「いい人」になっているという自負は、これっぽっちもなさそう。また、お二人に会うため「絶対に来よう!」と決意し、店を後にしました。