人馬一体で挑戦を続けるHorse Value・神さんの野馬追で変化した地域への想い。
一千有余年の歴史を誇り、国の重要無形文化財に指定されている「相馬野馬追」の舞台の一つでもあり、古くから馬と人々の暮らしが密接に結びついてきた小高。この“馬のまち”で馬を活用した事業を行っているのがHorse Value(ホースバリュー)です。2024年5月中旬に新しい厩舎へ移転した同社の代表理事を務める神瑛一郎さんに、野馬追への想いや今後の挑戦などについて伺いました。
「馬の社会的価値を高めること」をビジョンに掲げて。
2024年から5月に開催されることになった相馬野馬追を2日後に控えた5月23日、一般社団法人Horse Valueの新しい厩舎を訪ねると、神さんは事務所の床に座り込んでカラーボックスを組み立てている真っ最中。入り口の脇には、野馬追で神さんが身につける甲冑や旗が置かれていました。
——忙しい中、すみません!今日はよろしくお願いします!
神さん 散らかっていてすみません!引っ越したばかりで。
——この時期に引っ越ししたのは、やはり野馬追にあわせてですか?
神さん そうですね。当日ここでやりたいこともあるので!まあ、そのせいで、こんな大変なことになっています(笑)。
——やりたいことですか?そのあたりも取材の中で詳しく聞かせてください!
震災前、造園業を営んでいた会社の跡地に整備された厩舎の敷地は900㎡。苗畑だった場所を整地した馬場では、馬たちが心地よさそうに過ごしていました。
2020年10月に設立されたHorse Valueは「馬の社会的価値を高める」ことをビジョンとして活動。小高の町中を馬に乗って散策できる「小高うまさんぽ」、波打ち際を歩く「海トレッキング」、馬との関わり合いから企業などの組織活性化を図る「ホースミラーリングセッション」といった事業を展開しています。
——神さんは東京出身で、元々、馬術競技の選手として活躍されていたと聞いています。
神さん そうですね。国内外の大会に出たり、大学卒業後は馬術競技の本場であるドイツに渡って、馬術の技術をはじめ、馬の生産・調教なども学びました。
——馬をメインにした事業を立ち上げようと考えたのは、どういう思いからですか?
神さん 昔から「馬術競技をメジャーにしたい」と強く思っていました。それと同時に「馬の魅力を広めたい」とも思うようになり、その手段として事業化しようと考えるようになりましたね。
——神さんが感じる、馬の魅力って何ですか?
神さん “パートナー感”ですね。馬は人の感情を感じ取って動きに出すので、言葉は通じませんが、お互いをわかり合えてる感じが好きなんです。
野馬追の存在が、小高で事業を始める決め手に。
取材に応じていただいている最中も、厩舎へ来訪する人たちにひっきりなしに声をかけられるなど、すっかり地域に溶け込んでいる神さんに小高のことを伺いました。
——起業する場所として、小高以外も探しましたか?
神さん はい。ドイツから帰国後、北海道や岩手など、国内の馬産地を見て回りました。
——その中から小高を選んだ理由は何だったのでしょう?
神さん 大きく理由は2つあります。まずは南相馬に起業家支援のスキームがあって、そこで小高の人たちが「とりあえず、やってみたら?」という感じでバックアップしてくれたのが大きかったですね。
——地域のみなさんの後押しがあったんですね。
神さん そして、もう一つはやはり野馬追の存在ですね。
——野馬追が大きな決め手だったと。
神さん 1000年以上続いている馬の祭りというのは、他の地域にはない特別なものです。それほど深く文化として根付いている地域なら、これから馬を事業として挑戦するときに最適な場所なんじゃないかと。
——実際に住んでみて、南相馬や小高に馬の文化が根付いていると感じたりしますか?
神さん それはめちゃくちゃ感じますね。僕が馬を使った事業をすると初めて会った人に言っても誰も驚かないんですよ!他の場所だと「なんで馬なの?」って、まずは聞かれるんですけど(笑)。
——それくらい馬が身近にいるということですね。
神さん そうだと思います。町の中にも至る所に馬をモチーフにした装飾がありますし。ただ……
——ただ?
神さん 最初に小高を訪れた時に知ったのですが、そんな“馬のまち”であるものの、実は野馬追以外では馬を間近に見たり、ふれあったりする機会が全然なかったんです。
——確かに馬を飼っている人以外は、なかなか馬と接する機会はありませんよね。
神さん それもあって、馬と気軽にふれあえる事業を始めたんです。
——なるほど。
神さん 実はそれがこの移転のタイミングを野馬追に合わせた理由にもつながっています。
——最初におっしゃっていた「やりたいこと」ですね。
神さん この厩舎がある川房地区は震災以降、野馬追に参加する人馬がいません。なので、野馬追との関わり合いを持続させるためにも、地域内外の人たちをここに招いて出陣する様子やなかなか見られない舞台裏を披露しようと思っているんです。
甲冑を身に纏い、馬に乗って出陣する様子は、一般的には家庭内で行われてきたもの。神さんはそれを多くの人たちに公開することで「野馬追との距離が離れてしまった川房地区の人たちや初めて出陣の様子を見る人たちに改めて馬の魅力を伝えたい」と想いを語ってくれました。
野馬追で強まった地域との結びつき。
今回、3度目の出陣となる神さんに、事業拠点として小高を選んだ決め手にもなったという野馬追について伺いました。
——初めて参加した時のことを覚えていますか?
神さん 初めて出た時から地域の人たちが、すごく応援してくれました。特に小高は移住者にオープンですが、移住して野馬追に出るのは僕くらいですしね。
——確かに乗馬できる移住者の人は少ないですよね。
神さん そうですね。あと、1度目の時は僕の目の前でちょっとしたトラブルがあって。
——トラブルですか?
神さん 騎馬武者行列に参加していたとき、僕の少し前で馬に乗っていた方の「腹帯」という鞍を固定する馬具が切れてしまったんです。とても危ない状態だったので、自分が予備で持っていた腹帯を「使ってください」と差し出したんです。
——その方は助かりましたね。
神さん それがその方との縁になって、それ以降、色々とよく面倒を見てくださってるんです。
——野馬追がつないでくれた縁ですね。
神さん はい。2度目からは、その方の家にあった甲冑を貸してくれるようになりました。今回もその甲冑で出陣します。もうすぐ、その方も来るんじゃないかな?
——野馬追に出る前と後で、地域の方の反応などは変わりましたか?
神さん やっぱり違いますね。1度、2度と出る度に、どんどん密になっている感覚はあります。町でもよく話しかけられるようになりましたし、僕の本気度が伝わったというか。
——本気度ですか?
神さん 僕は結構メディアに出ているので、地域の中でも名前と顔だけは知られていることも多くて。それが逆に「いろいろ出ているけど、どうせ食べていくための宣伝でしょ?」といったような見方になってしまうこともあったみたいです。
——なるほど。
神さん ただ、それはそれで間違っていないんです(笑)。馬の魅力を伝えるために、うちの宣伝も大きな目的です。そこは隠すつもりはありません。
——本音をありがとうございます(笑)。
神さん 元々も「地域のために」というよりは、自分のやりたいことを叶えるために事業を始めましたからね。
——その想いは野馬追に出たり、小高で過ごす中で変化しましたか?
神さん そうですね。自己実現のためという思いはもちろんありますが、野馬追に出たことで、よりこの文化への理解が深まっていますし、みなさんに応援され、コミュニティに入れてもらって交流する機会が増えて、自分たちにしかできないことで、この地域の可能性をもっと広げられるんじゃないかと思っています。それが厩舎を移転した大きな理由でもあります。
——その移転の理由について、もう少し聞かせてください。
神さん 小高で事業を初めて、この地域で5年10年100年先を見据えて事業を拡大したり、いろいろなことに挑戦していこうと考えた時に、まずはその拠点をしっかり整備しようと考えたんです。
神さんは、今回の移転にあわせて以下の3つのミッションを新たに掲げました。
①馬との関わりで社会に笑顔を増やし、人や組織にパワーを注入する
②馬と共に震災を超えて新たな挑戦の場となった地域の力になる
③馬との生活を支えてきた伝統文化「相馬野馬追」との共存
このミッションは設立時に定めたビジョンにはなかった、地域との関わりが強く含まれたもの。神さんは「出陣の様子を公開するように、移住してきた人間だからこそできる取り組みやこれまでになかったイベントなどを行っていきたいですね」と今後のHorse Valueのあり方を見据えていました。
取材を進めていると、神さんに甲冑を貸している地域の方が、野馬追の準備の手伝いにいらっしゃいました。お話を伺うと「移住して野馬追に出てくれるのは、地元の者としてはうれしいね。馬のことはうんと頼りになるんだ。たまに無くし物したりするところもあるけどね(笑)」と答えてくれました。神さんは「野馬追は一人じゃ出られないので、すごく感謝しています」と今回の野馬追参加への想いを口にしました。
5月26日、野馬追の当日。厩舎には勇ましい甲冑姿に身を包み、華やかな衣装で飾られたグラちゃんを馬運車へと引く、神さんの姿が。そんな様子を地域内外から集まった20人以上の方々が、興味深そうに見つめたり、「出陣おめでとう!」「気を付けてね!」と声をかけたりしていました。そんな声に神さんは「ありがとうございます!いってきます!」と元気に答えていました。
野馬追の行列と神旗争奪戦、野馬懸を終えて帰陣した後、「出陣の際には、予想以上の方が集まってくれて、とてもうれしかったですね!これからもビジョンを最大化し、ミッションを叶えるために、常に馬と新たな挑戦を続けていきます」と神さん。自らの理想像と小高に受け継がれてきた歴史・文化を掛け合わせ、人馬一体となって未来へ歩みを進めています。