移住して見つけた、小高で暮らす意味
各地で「移住」を実践する人が増えつつある昨今だが、最初の一歩を踏み出すのはやはり簡単ではないもの。移住するにあたりどこに相談し、住まいや生業をどうするか。決定までのプロセスがなかなか見えないことも、不安要素のひとつにあるように思う。
2021年の8月に小高に移住した「株式会社つむぎ」の玉沢堅司さんは、住民になってまだ1年半ほど。南相馬市小高区に事務所を構え、新たな生活を始めた経緯や実際に暮らしてみての感想を移住したての目線で語ってもらった。
スピード移住の決断をした理由
玉沢さんは大阪府の出身。大学卒業後は都内でシステムエンジニアとして経験を積み、その後営業に転身。自社開発したサービスの契約交渉から運用保守までを手掛けてきた。代表を務める「株式会社つむぎ」は、小高への移住にあたり、所属していた会社の事業会社として独立させるかたちで立ち上げた会社だという。「ここに来るまで、南相馬はおろか東北ともほとんど関わりがなかった」と話す玉沢さん。なぜ、小高への移住を決めたのだろうか。
「実は、現在事務所を置いているシェアオフィスの運営元「小高テック工房」の塚本真也さんはつむぎを共同で立ち上げた関係者の友人なんです。その塚本さんに『ちょっと視察しに来てみない?』と誘われたのがきっかけで、2020年に初めて小高を訪れました」
当初は友人に会うつもりで小高にやってきた玉沢さん。しかし、塚本さんのアテンドで地元の企業や役所に足を運び、住民を紹介してもらったりするうちに、ある思いを抱くようになる。
「震災から10年経ってもなかなか災害に向けた取り組みができていないという現状を見て、システム屋として何かできないかなと思ったのがひとつ。もうひとつは、「小高ワーカーベース」があったり、若者が起業したりしてとても元気な町だなと感じたんです。訪れた翌日にはもうこの町に会社を作りたいなと思っていました(笑)」
驚くほどのスピード決断ではあったが、単なる思い付きというわけでもなかったよう。かねてから地方での事業展開に興味があったこと、また玉沢さんたちの会社が開発したシステムが防災や見守りをテーマにしたものだったことも決め手になった。防災に関するアプリを作るのに、小高ほど適した町もなかったからだ。IT関係ならリモートでも仕事はできる。それでも住民が必要とするサービスを作るには、実際に住んでみるのが一番。そう考えた玉沢さんは、小高を初めて訪れてからわずか半年後には住民になっていた。
暮らして実感する、小高の人々のあたたかさ
いざ行き先を決めても、実際の準備の段階でつまずいたり、時間がかかってしまうことも少なくないのが移住の難しさ。玉沢さんの場合はどうだったのだろうか。
「基本的には事務的な手続きばかりを粛々と進めていった感じです。会社の登記場所もどうしようかと思っていたら、塚本さんにこの場所を紹介していただいて。ありがたかったですね」
もともと環境が変わることに抵抗がないという玉沢さん。移住への気持ち的な不安はなく、手続きなどもスムーズに進んだそう。その中では南相馬市小高区役所地域振興課を定期的に訪れ、実際に暮らすにあたりスーパーがどこにあるか教えてもらったり、移住者への補助金や助成金で使えるものを紹介してもらったりもした。「移住者へのサポートはかなり充実していましたね。他の地方よりも多いんじゃないかな」と振り返る。ただし1点、難航したのが家探しだ。
「この地域って借りられる物件が少ないんです。今の自宅はご縁があってオーナーさんから直接貸してもらっています。」
玉沢さんの場合は、幸い相談できる知人がいて物件に出会えたが、まったくつながりがなければやはり行政に話を聞きに行くのがベストのよう。空き家バンクなどを利用する方法もある。
そして、玉沢さんが実際に暮らし始めて感じたのは、「人の優しさ」。人情の町と呼ばれる大阪出身の目から見ても、小高の人々はあたたかいという。
「よく、浜通り(福島県の太平洋側の地域)の人はオープンだと言われますが、その通りだと思います。特に小高をはじめ、原発から20キロ圏内で暮らしている人にはそういう方が多い印象です。おそらくですが、この町は震災で一時は人口がゼロになった町で、住民の方は一度はどこかに避難した経験があるんです。つまり移住ですよね。避難先で土地の人に温かく迎え入れてもらったからこそ、今度は自分たちも移住者を快く受け入れたい。そんな風に思っている方が多いのではないでしょうか」
たまに方言に苦戦することはあっても、英会話教材のように、住民の会話を聞いているうちに理解できるようになってきた。
「2020年に小高に初めて訪れた時よりは人の気配を感じるようになりましたが、まだ道半ば。地元の人と関係性を築きながら、この町に賑わいを作り出す一助になれたらいいですね」
人との出会いが移住ライフを輝かせる
小高で暮らすようになって、玉沢さんに心境にも変化があった。メンタル面が穏やかになり、心に余裕が生まれたという。
「自然が豊かでどことなく時間の流れもゆっくりしている気がします。ここに来て、前から興味があった農業も始めたんですよ。農家さんの手伝い程度ですが、これが気持ちいいんです。コンピューターを触る仕事は常に電気を浴び続けているからかストレスが溜まりやすいんです。土にはそんな負荷を流してくれる役割があるようで。エンジニアと農業はきっと相性がいいですよ(笑)」
休日はカフェに行ったりドライブをしたりと、小高暮らしを満喫中。一方で人に会うことも大切にしている。新しい人に会ったら、次に会うべき人を紹介してもらう“わらしべ長者”スタイルで人脈を広げるのが玉沢さん流だ。
「やはり自発的に動かないと情報も入って来ませんから。移住してやりたいことがあるなら、待ち受け画面みたいな人は難しいかもしれません」
実際に自分自身にもそう言い聞かせながら日々を過ごしているそうで、出会いの機会がほしい人のために「双葉屋旅館」か「小高パイオニアヴィレッジ」に行くことをすすめてくれた。移住者も集まりやすく、すでにコミュニティが生まれているので新しい環境を求めている人にはうってつけだそうだ。「玉沢さんにも会えますか?」と聞くと、「僕はどこにでもいるから」と笑う。
「特定のところにいるよりは、まずいろんな人に僕を知ってもらいたいし、知りたい。コミュニティに参加するより自分で作っていく方が、性に合っているんです」
今後は、自社の防災・見守りアプリを、南相馬市をはじめ全国の自治体で導入してもらえるよう開発をすすめることに加え、システムエンジニアの経験を生かし、地域のITにまつわる困りごとの解消にも力を入れたいと話す。友人の塚本さんと一緒にIT相談会を開催するなどもしており、ホームページ作成など小さなニーズにも応えていく予定だ。
「震災以降、さまざまな業種の方が出入りしている地域だとは思いますが、意外にもこういう分野の人材は少ないようで、可能性を感じています。効率重視になりがちなITの世界で、あくまで“暮らしや仕事を豊かにするためのIT”を実践していきたいですね」
まだ移住して1年半。玉沢さんにとっての移住がどんな意味を持つのか、答えはこれからかもしれない。しかし現在の充実した日々の様子は、その晴れ晴れとした表情が物語っていた。